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玄宗
「玄宗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
玄宗の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
うものである。 か弱い花を保護するためには、非常な警戒をしたものであった。唐の
玄宗皇帝は、鳥を近づけないために花園の樹枝に小さい金の鈴をかけておいた。春の日に....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
六日の後に、柳はそこを立ち去って行くえを晦ました。 北斗七星の秘密 唐の
玄宗皇帝の代に、一行という高僧があって、深く皇帝の信任を得ていた。 一行は幼い....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
ったのちに我が寺へ帰ると、彼と同名異姓の僧がその晩に死んだ。 異亀 唐の
玄宗帝の時に、ある方士が一頭の小さい亀を献上した。亀はさしわたし一寸ぐらいで、金....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
った。 宗春は断じて暗君では無かった。英雄的の名君で、支那の皇帝に譬えたなら、
玄宗皇帝とよく似ていた。お半の方を得て以来は、両者は一層酷似した。
玄宗皇帝が楊貴....
「運命」より 著者:幸田露伴
、璧を使者に托して、今年|祖龍死せんと曰えば、果して始皇やがて沙丘に崩ぜり。唐の
玄宗、開元は三十年の太平を享け、天宝は十四年の華奢をほしいまゝにせり。然れども開....
「貧乏神物語」より 著者:田中貢太郎
唐山には窮鬼と書くの、蘇東坡に送窮の詩があるの、また、窮鬼を耗とも青とも云うの、
玄宗の夢にあらわれた鍾馗の劈いて啖った鬼は、その耗であるのと例の考証をやってから....
「碧玉の環飾」より 著者:田中貢太郎
を追思した末に、 「愚僧がまだ沙弥であったころ、一疋の雌猿を養うていたが、某日、
玄宗皇帝の勅使|高力士がこの寺へ来て、その猿の敏捷なのを見て、絹を代りに置いて猿....
「みさごの鮨」より 著者:泉鏡花
ったのがこの女中らしい。 ところでその金屏風の絵が、極彩色の狩野の何某在銘で、
玄宗皇帝が同じ榻子に、楊貴妃ともたれ合って、笛を吹いている処だから余程可笑しい。....
「梵雲庵漫録」より 著者:淡島寒月
といえば、五月人形の内、鍾馗にしろ金時にしろ、皆勇ましく荒々しいものだが、鍾馗は
玄宗皇帝の笛を盗んだ鬼を捉えた人というし、金時は今も金時山に手玉石という大きな石....
「杜子春」より 著者:芥川竜之介
、黄金が一山出て来たのです。 大金持になった杜子春は、すぐに立派な家を買って、
玄宗皇帝にも負けない位、贅沢な暮しをし始めました。蘭陵の酒を買わせるやら、桂州の....
「岷山の隠士」より 著者:国枝史郎
方は、ちょっと俗物の所があった。それだけにその名は喧伝されていた。 時の皇帝は
玄宗であった。 「※を見たいものだ」 こんなことを侍臣に洩らした。 呉※の許....
「人生三つの愉しみ」より 著者:坂口安吾
、大宮殿に常に満々と湯を満したり、蒸気を満したりする設備が不可能でもあったろう。
玄宗と楊貴妃が温泉にひたって快楽を満喫したのも有名な話。日本は温泉の国で、湯泉場....
「日本上古の硬外交」より 著者:国枝史郎
雋、到所可ならざるなき才気を発揮し、加うるに稀に見る美少年であったところから唐の
玄宗皇帝が是を寵用し、帰化させ、老年に及ぶや光禄太夫の大官に昇らせた如きもその例....
「健康と仕事」より 著者:上村松園
と自分で自分の体に感心することがある。 若いころ春季の出品に明皇花を賞す図で、
玄宗と楊貴妃が宮苑で牡丹を見る図を描いたときは、四日三晩のあいだ全くの一睡もしな....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
はみな受けるというのなら道教などでもきていそうなものである。聖武天皇に向って唐の
玄宗皇帝は道教の道士を送ってやろうということを何遍も言われたが、聖武天皇は道教は....