玉川上水[語句情報] » 玉川上水

「玉川上水〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

玉川上水の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
家庭の幸福」より 著者:太宰治
それは、私(太宰)にもはっきりわからないけれども、とにかく、その女は、その夜半に玉川上水に飛び込む。新聞の都下版の片隅に小さく出る。身元不明。津島には何の罪も無....
乞食学生」より 著者:太宰治
で、たのしい我が家に引き返そうという気力も出て来ない。私は、家の方角とは反対の、玉川上水の土堤《どて》のほうへ歩いていった。四月なかば、ひるごろの事である。頭を....
街頭から見た新東京の裏面」より 著者:杉山萠円
口さとキタナさを代表しているものならば、それ等をゼイロクと罵《ののし》り去って、玉川上水に尻《けつ》を使い、天下の城の鯱《しゃちほこ》を横眼に睨んだ江戸ッ子は、....
三角形の恐怖」より 著者:海野十三
でもありやしないかと思われる位でした。私の家は、その塔の森と呼ばれる真暗な森と、玉川上水のあとである一筋の小川を距てて向い合っていました。どっちかと言うと一寸陰....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
は他に求めねばならぬ。 家から五丁程西に当って、品川堀と云う小さな流水がある。玉川上水の分派で、品川方面の灌漑専用の水だが、附近の村人は朝々顔も洗えば、襁褓の....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
は知りましねえ」 「かわいそうに。そうして、育てられたのは?」 「それはね、この玉川上水を二十里も上《かみ》へのぼると沢井という所がありまさあ、その沢井の机弾正....
旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
塩せんべ屋のお婆さんが井戸番をしているようなかたちだった。あたしの家の裏の井戸は玉川上水だった。 その二階家は「炭勘」という名の――炭屋勘兵衛とでもいったのだ....
百姓弥之助の話」より 著者:中里介山
しいものは水道と水田であった。 水道と云うのは多摩川の本流をここで分けて一方を玉川上水として、江戸以来東京へ引き、一方はそのまま東京湾へ落したものだが、昔はそ....
太宰治情死考」より 著者:坂口安吾
それでいゝではないか。惚れ方が体をなしていなかろうと、ジコーサマに入門しようと、玉川上水へとびこもうと、スタコラサッちゃんが、自分と太宰の写真を飾って死に先立っ....
街はふるさと」より 著者:坂口安吾
青木は、とてもそんな風に思うことができなかった。 二 青木は玉川上水に沿うて、さまよった。記代子の宿から、歩いて四十五分ぐらい。死ぬとすれば....
我が人生観」より 著者:坂口安吾
らった男が改めてドギモをぬかれるほどの大きなことをやらかすのである。 飛鳥川は玉川上水と同じぐらいの小川にすぎない。 大黄河にもみまくられて育ったシナの歴史....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
と、これからそろそろむほんと出かけて、出入りの按摩を取り立て、お医者とこしらえ、玉川上水、印旛の新田、吉野の金掘り、む性に上納、御益のおための、なんのかのとて、....
魔都」より 著者:久生十蘭
上水を布設させたが、三代将軍家光の寛永年間には、玉川清右衛門に多摩川を水源にする玉川上水を設けしめ、さらに元祿年間には河村瑞軒の設計によって石神井村三宝池を水源....