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「玉葉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

玉葉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
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神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
して御参拝ありし。後白河帝が、脱位ののち本宮へ御幸三十二度の時御前にて、 『玉葉』 忘るなよ雲は都を隔つともなれて久しき三熊野の月 巫祝《みこ》に託し....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
御年も若く繊弱い宮様のような女性でありながらも、ことに宮中の奥深く育てられた金枝玉葉の御身で、上方とは全く風俗を異にし習慣を異にする関東の武家へ御降嫁されたあと....
雪之丞変化」より 著者:三上於菟吉
、手ぶり足ぶみおもしろく、踊り抜いて、歓笑湧くがごときところへ、広海屋の馴染の、玉葉《たまば》太夫というのが、たいまいの笄《こうがい》、蒔絵《まきえ》の櫛《くし....
十二支考」より 著者:南方熊楠
論戦したが、事すこぶる煩わしいからここには略して竜譚に関する分だけを述べよう。『玉葉』四十に寿永三年正月元日伊勢怪異の由を源義仲の注進せる内に、元日の夜大風雨雷....
雪の宿り」より 著者:神西清
かずにして三万五千余巻が納めてありましたとのことで、中には月輪殿(九条|兼実)の玉葉八合、光明峯寺殿(同|道家)の玉蘂七合などをはじめ、お家|累代の御記録の類も....
秋の筑波山」より 著者:大町桂月
山新たに光彩を添へぬ。然るに、殿下今や亡し。測候所は文部省が引継げりと聞く。金枝玉葉の御身を以て、斯かる山上に測候所を設立し給ひし御志の程、世にも尊く仰がるゝ哉....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
くられている以外の時間に甚しく退屈に苦しんだので、この時とばかりに「台記」だの「玉葉」というものをノートをとりながら読みはじめた。この種の本はいかに退屈している....
日記」より 著者:宮本百合子
してこれにまとまった味を持って居るのがない。 中で、今記憶にあるのは、清姫、(玉葉)鯉。カンガルー。 洋画では童女像、涼しきひま、童女像は、涼しきひまとは反....
日記」より 著者:宮本百合子
人の求道心の一発露として、通観した場合、現代のソシアリストの叫ぶような闘争的金果玉葉とかつぎあげる浅薄さに陥れるだろうか。もう一歩其処から深まり根本の不死の生命....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
のみ。そのこれに任ぜらるるや、九条兼実嘆じて曰く、「乱世の基なり」と。事は日記『玉葉』にあり。しかるに秀郷の子泰衡の代となりては、その臣由利八郎はすでに御館三代....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
年五月二十七日、彼は鎮守府将軍に任ぜられた。当時右大臣であった兼実は、その日記『玉葉』にこれを記して、 奥州夷狄秀平、任。乱世之基也。 とある。これけだし当時....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
の分立、持明院統と大覚寺統、分立の意義、為世歌論の保守主義、為兼歌論の新鮮さ、『玉葉』の歌と『新後撰』『続千載』の歌と 十三 吉野朝時代の勅撰和歌集 十四 鎌倉....
三国志」より 著者:吉川英治
して、賢弟などとなれなれしく称んだが、こちらはいやしくも漢の天子の流れをくむ金枝玉葉だ、汝は一|匹夫、人家の奴に過ぎない男ではないか。無礼者め! 戸外へ出ろっ、....
三国志」より 著者:吉川英治
だな」 夏侯楙は軍議の席で、まるで他人事みたいに趙雲の武勇を賞めた。魏帝の金枝玉葉だけあって、大まかというのか、なんというのか、諸将は彼の顔をながめ合っていた....