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「王政〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

王政の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
後世への最大遺物」より 著者:内村鑑三
だ勤王家の精神をもって源平以来の外家の歴史を書いてわれわれに遺してくれた。今日の王政復古を持ち来《きた》した原動力は何であったかといえば、多くの歴史家がいうとお....
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
事は非常で有る、大体の目的は米国の平民主義の共和政治とを嘲り暗に英国の貴族制度と王政とに心を寄せた者だ、此の様な書は米国で好く言われまいけれど、英国の読書家には....
仇討禁止令」より 著者:菊池寛
、有栖川宮が錦旗を奉じて、東海道をお下りになっているという確報も参っております。王政復古は、天下の大勢でござります。将軍家におかれても、朝廷へ御帰順の思し召しが....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
て、西洋文明の代表者と決勝戦を交える準備を完了するのであります。明治維新の眼目が王政復古にあったが如く、廃藩置県にあった如く、昭和維新の政治的眼目は東亜連盟の結....
鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
視の肚では武力を以て圧倒しようとする所に、幕府の方から、頭を下げて来たのである。王政維新の実を挙げ、朝廷の実力を発揮するためには、幕府に一撃を与えて、実力的に圧....
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
興が、如何にして崩壊したかを説かねばならない。 元弘三年六月五日、後醍醐天皇は王政復古の偉業成って、めでたく京都に還幸された。楠正成、名和|長年以下の凱旋諸将....
近時政論考」より 著者:陸羯南
ず。いわく攘夷論、いわく開港論、二つのものは外政上における常時の論派なり。いわく王政復古、いわく皇武合体、二つのものは内政上における常時の論派なり。封建時代の当....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
容易ならぬ彼地の形勢を半蔵のところへ報じて来た。伏見寺田屋の変をも知らせて来た。王政復古と幕府討伐の策を立てた八人の壮士があの伏見の旅館で斃れたことをも知らせて....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
、イギリスのような外国の勢力までがこれを助けているといううわさからも知って来た。王政復古を求める声は後年を待つまでもなく、前の年、慶応元年の後半期あたり、将軍辞....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
あると。 不幸にも、先年東海道川崎駅に近い生麦村に起こったと同じような事件が、王政復古の日を迎えてまだ間もない神戸|三宮に突発した。しかも、京都新政府において....
二合五勺に関する愛国的考察」より 著者:坂口安吾
ちに明治となり、この事実が発覚した。明治政府はまだ信仰の自由を許しておらぬ。例の王政復古というやつで、宗教は神道ひとつ、仏教もつぶしてしまえという反動時代だった....
二都物語」より 著者:佐々木直次郎
の」という原文の代名詞を「わがもの」と変えたのである。 収税請負人 フランスの王政時代に、一区域の租税を徴収する特権を政府から得て、その代償として政府に一定の....
大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
参会した。十二月八日のことであった。その結果諸般の改革を見、翌九日、天皇|親臨、王政復古の大号令を下され、徳川幕府は十五代、二百六十五年を以て、政権朝廷に帰した....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
険のごとき、いやしくも時の事情を知るものの何人も認めざりしところなり。 されば王政維新の後、新政府にては各国公使を大阪に召集し政府|革命の事を告げて各国の承認....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
へ入れてくれろというから、どうもあなたの情を察すると入れて上げたいけれども私は法王政府の命令を受けて居るから絶対的に入れることが出来ん。もし入るならば必ず殺さる....