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現形
「現形〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
現形の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「「いき」の構造」より 著者:九鬼周造
芸術形式としての表現、すなわち芸術的表現との二つに区別することができる。この両表
現形式がはたして截然《せつぜん》たる区別を許すかの問題{1}、すなわち自然形式と....
「映画と癩の問題」より 著者:伊丹万作
次に、芸術家の好むと好まざるとにかかわらず、映画というものは、その持ちまえの表
現形式があまりにも具体的でありすぎるため、癩者の現実を直接かつ率直に描写すること....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
的ではなくて露骨に物的である処に、元来の精神主義という宗教的原型とその特別な一発
現形態との間の、一種の矛盾を感じさせる。そこで、之がインチキな宗教のインチキたる....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
術理論――批評――の仕事であって、芸術自身――制作――の仕事ではない。世界観の表
現形態が、即ち又現実の模写形態が、理論乃至科学と芸術乃至文学とでは、少なくとも以....
「辞典」より 著者:戸坂潤
一環となることによって、自然科学(一般に科学)の方法の目的が完成するのである。表
現形態を取り得ない研究は何等実質的な研究でなく、科学の発達に資する筈はあり得ない....
「現代小説展望」より 著者:豊島与志雄
タにすぎなくなる。 新らしい感覚によって感得されたものは、必然に、それ独特の表
現形式を以て現われてくる。なぜなら、芸術作品においては、内容と表現とは切り離すこ....
「ジャン・クリストフ」より 著者:豊島与志雄
貌《がんぼう》にすぎない。それは彼の本体ではない。彼の深い本体と、彼の顔や思想の
現形との間には、なんらの関係も存しない。彼自身よくそれを知っている。鏡で見る姿を....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
がつくれば、それでいい。天才世阿弥は永遠に新らただけれども、能の舞台や唄い方や表
現形式が永遠に新らたかどうかは疑しい。古いもの、退屈なものは、亡びるか、生れ変る....
「天皇陛下にさゝぐる言葉」より 著者:坂口安吾
察官の諷刺の題材でしかないのである。これに類するバカらしさは、中国に於ても「官場
現形記」という小説によって、カンプなく諷刺せられておる。 このような指定席を遍....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
酒池肉林の方が、はるかに異常、亡国的なものであると云い得る。 清朝末期に「官場
現形記」という諷刺小説が現れた。下は門番小使から上は大臣大将に至るまで、官吏の収....
「ルネ・クレール私見」より 著者:伊丹万作
のの系列との二種あることは万人のひとしく認めるところである。 そしてそれらの表
現形式は下町ものの場合は比較的リアリズムの色彩を帯び、諷刺ものの場合は比較的象徴....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
うもいわれる。しかし名文を伴わぬ傑作が果してあるだろうか。ここでは内容と、その表
現形式の一致が望まれている。鴎外にはその一致がある。 『サフラン』がまた名文であ....
「クリティシズムと認識論との関係」より 著者:戸坂潤
か、する、からである。だが言葉は凡ゆる人間活動に伴っている。それは最も普遍的な表
現形式だ。だから制作活動が旺盛であればあるほど、言語活動としてのクリティシズムも....
「語呂の論理」より 著者:中谷宇吉郎
それを聴衆に納得させようとした時に、不用意のうちに、われわれの祖先の持っていた表
現形式が出て来たのであろう。こういう風に見ると、語呂の論理は日本人の頭の奥底にか....
「社大党はファッショ化したか?」より 著者:戸坂潤
ているのは、必ずしも嘘でない、と云わねばならぬ。ただそれが時局の圧力によって、発
現形式を変えて来たのは勿論事実で、そこから、日本型ファシズムに於ける出来合いの諸....