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「瑞巌寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

瑞巌寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
灯明之巻」より 著者:泉鏡花
景色は雨に埋もれて、竈にくべた生薪のいぶったような心地がする。屋根の下の観光は、瑞巌寺の大将、しかも眇に睨まれたくらいのもので、何のために奥州へ出向いたのか分ら....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
「それは、それに違いない」 「八百八島――あれは天然がこしらえた名物でござるが、瑞巌寺《ずいがんじ》の建築、政宗公の木像、それから五大堂――観瀾亭と行って、そう....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
れども、七兵衛の迅足をもってしては、まことにあっけないものでありました。それでも瑞巌寺《ずいがんじ》の建築を考証したり、例の田山白雲が憧れている観瀾亭の壁画なん....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
間、忍びの間は芝居だったな。さすがのおれも、ちょっと身の毛がよだったよ。あの伝で瑞巌寺泊りの駒井氏をも驚かしたそうだが、どうだ、七兵衛老爺、今晩は心得たものだか....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
はずの物体のみでありました。 最初の諸士を中心として、松島のすべて、塩釜方面と瑞巌寺《ずいがんじ》の主なる面々が、みんなこの観瀾亭に集まって、縁の下の獲物の検....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
ない。 「ナニ、人家なんぞなくともかまわん。近い岸へつけて松の根ッこへ放りだせ」瑞巌寺の岸へつけ、一力は松島の漁師に後事を託し、正二郎を残して去った。そこで正二....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
を亡さずに子孫代々そうありたい、というような心得になったようだ。彼が生前に松島に瑞巌寺をたて自分の廟所に予定したのも、平泉的でもあるし、信長の総見寺という御手本....