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「瓜生〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

瓜生の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
そ低いが、みな相当に内福であったらしい。今ここへ来かかった二人の娘は、その賄組の瓜生《うりゅう》長八の娘お北と、黒沼伝兵衛の娘お勝で、いずれも明けて十八の同い年....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
雄訳)。 レーニン研究所編、レーニン著『マルクス・エンゲルス・マルクス主義』(瓜生・直井訳)。 等々。 第四部 文化論 九 現代文化の状勢....
南蛮秘話森右近丸」より 著者:国枝史郎
30 処女造庭境とは何物であろう? 衣笠山から小北山、鷹ヶ峰から釈迦谷山、瓜生山から白妙山、その方面の山林地帯へ、種々様々の迷路を設け、またいろいろの防禦....
なよたけ」より 著者:加藤道夫
作者は石ノ上ノ文麻呂と云う人です。……」 人物 石ノ上ノ綾麻呂 石ノ上ノ文麻呂瓜生ノ衛門 清原ノ秀臣 小野ノ連 大伴ノ御行 讃岐ノ造麻呂(竹取ノ翁) なよたけ....
随筆 寄席風俗」より 著者:正岡容
いのは福圓遊だ。あの男の百面相ほど、まずい、智恵のない、しかし好感のものはない。瓜生岩子の銅像や、喇叭《ラッパ》ぶし高らかに村長さんの吉原見物や、みんな今は時代....
向嶋」より 著者:永井荷風
依田学海《よだがっかい》、成島柳北がある。詩人には伊藤聴秋《いとうていしゅう》、瓜生梅村《うりゅうばいそん》、関根癡堂《せきねちどう》がある。書家には西川春洞《....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
、今、彼の立っている所から東へ真っ直に、志賀山越えの裏街道をとり、白河の上流から瓜生山の麓をあるいて、薬師堂の辺りからそこへ行き着くという道も選べる―― その....
私本太平記」より 著者:吉川英治
義助以下、大館宗氏、堀口貞満、同行義、岩松経家、里見義胤、江田行義、篠塚伊賀守、瓜生保、綿打ノ入道義昭、世良田兵庫助、田中氏政、山名忠家、額田為綱、等、等、等…....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、義貞は、その夕、 「行かずばなるまい。月毛の背に新しい鞍をおけ」 と、近侍の瓜生保に、駒支度をいいつけ、自身もすずやかな小袖|狩衣を、つとめて都風に、着かざ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て、ごった返しに、三条口までの坂道を、黒い流れが、逃げおめいて行った。 「保ッ、瓜生保っ」 と、義貞はそれの追撃に躍り逸ッている馬上から後ろを見て―― 「瓜生....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いまはいささか待ちしびれの惰気すら生じそうだった。 「おう、右衛門ノ佐さま」 「瓜生|保か。どこへ」 「千種殿まで、例の軍状の御加判を願いに行てまいりました」 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
!」 と、五月の空の、雲のきれまを仰ぎながら、門廊のあたりまで歩いて来て、 「瓜生瓜生っ」 と、人を呼んでいた。 声は大きい。いくぶん、癇気はあるが、不....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、さしも破綻をあらわして、ついに敗れたものだとある。 この戦いで、新田党の雄、瓜生保は戦死し、義貞の子|義顕も、尊良親王も、大勢の味方と共に自刃するなど、いか....
随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
していたような三本道の追分の角であったことも、何となく欣しかった。 一乗寺山と瓜生山の裾をひいて、その追分の辺も、少し傾斜になっている。人家はぼつぼつあって、....