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甚助
「甚助〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
甚助の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「根岸お行の松 因果塚の由来」より 著者:三遊亭円朝
《きっと》ある。忙しいと来たら五六人ずつはありますからなか/\廻しが取れません。
甚助《じんすけ》をおこす客もあるが怒《おこ》って出て行《ゆ》くものゝないも訝《お....
「旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
ぬ按摩迄が口々にさざめき立てました。 「ま! お可哀いそうに。ああいうのがきっと
甚助侍と言うんですよ」 「違げえねえ。あのでこぼこ侍達め、きっといろに振られたん....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
猶許されなかった。後森部の戦に一番乗りして、始めて許されたと云う。 笠寺の湯浅
甚助|直宗と云う拾四歳の若武者は軍の声を聞いて、じっとして居れずに信長の乗かえの....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
、秀吉或は拒んで、戦のきっかけになるかも知れない位に考えたであろうが、秀吉は湯浅
甚助に命じて、所々修繕の上あっさりと引渡した。秀吉にして見れば一小城何するものぞ....
「石狩川」より 著者:本庄陸男
た。そのとき彼は、五六間先の往還を行き戻りしている提灯に気がついた。
「そなた、
甚助《じんすけ》じゃないのか」
「おっ、やっぱり旦那さまでございましたか」と彼は....
「貧しき人々の群」より 著者:宮本百合子
と、しゃぶり始めたのである。 これは、町に地主を持って、その持畑に働いている、
甚助という小作男の家の出来事である。 二 ちょうどそのとき、私....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
|南裏町十五番地に移り住んだ。私立静岡英学校の教頭になったからである。校主は藤波
甚助という人で、雇外国人にはカッシデエ夫妻、カッキング夫人等がいた。当時の生徒で....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
れて『常山紀談』を見ると、柴田勝家居城の水の手を佐々木勢に断たれた時、佐々木平井
甚助を城に入れてその容易を観せしめた。平井勝家に会うて手水《ちょうず》を請うに、....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ば病人絶えずとて熊野に今も忌む所あり、拙妻の麁族《そぞく》請川《うけがわ》の須川
甚助てふ豪家、昔八棟造りを建つるに、烟出《けむりだ》しの広さ八畳敷、これに和布《....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
流そのままの伝統を抜くというのはあまり聞かないね」
「そうです、浅山一伝流も林崎
甚助から出たのです。先生、あなたも居合をおやりになりますか」
と、今度は柳田平治....
「農村」より 著者:宮本百合子
「負籠《おいかご》」に刈りためた草を押し込むと、鎌をそのわきに差し込んで、 「
甚助がさあ行って見ますべい。 と云うので、私も物珍らしい顔をして後から附《つい....
「大捕物仙人壺」より 著者:国枝史郎
ね」 「ちょっと心配になったから、実はそれとなく探ったやつさ」 「おや相変らずの
甚助かえ」紫錦ははすっぱに笑ったが「苦労性だね、お前さんは」 「何を云いやがるん....
「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
腹ア立つか知りまへんが、是に懲りずに又来てくんなましよと云ったら、少しも厭らしい
甚助らしい事をいわないで、今日ふりに来たのは只花魁の名高いことを聞いて来たのだが....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
破するのが、本来であったにちがいない。 林崎夢想流という抜刀(居合)の流祖林崎
甚助重信などは、やはり天文、永禄の時代を、その郷土出羽国を出て、諸州を歩いている....
「黒田如水」より 著者:吉川英治
た。ところへ、本軍の陣門とされている彼方の大きな築土門のあたりから、馬廻りの湯浅
甚助が何か事あり気に走って来た。そして信長の姿に遠くひざまずいて、 「ただ今、滝....