生中[語句情報] »
生中
「生中〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
生中の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
ている。」
譚永年《たんえいねん》は僕と同期に一高から東大の医科へはいった留学
生中の才人だった。
「きょうは誰かの出迎いかい?」
「うん、誰かの、――誰だと思....
「義血侠血」より 著者:泉鏡花
》ぎ人というものがないのだ。私が母親を過ごさにゃならんのだ。何を言うにも、まだ書
生中の体《からだ》だろう、食うほどの芸はなし、実は弱ったね。亡父《おやじ》は馬の....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
向きました。 当時はもちろんまだ但馬守宗矩公《たじまのかみむねのりこう》がご存
生中で、おなじみの十兵衛三厳公《じゅうべえみつよしこう》は大和柾木坂《やまとまさ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ころは、意外なことにも音蔵の住まいでした。 人手にかかってふた月あまり、――存
生中は、三番組|鳶頭《とびがしら》として世間からも立てられ、はぶりもよかったにし....
「階段」より 著者:海野十三
た。 2 翌年の春、僕は大学を卒業した。卒業に先立って僕達理科|得業
生中の大先輩である芳川厳太郎博士が所長をしている国立科学研究所から来ないかという....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
十二月三十一日 ◯ああ昭和二十年! 凶悪な年なりき。言語道断、死中に活を拾い、
生中に死に追われ、幾度か転々。或は生ける屍となり、或は又断腸の想いに男泣きに泣く....
「黄鳥の嘆き」より 著者:甲賀三郎
だから、強腰たらざるを得ないのだ。それに重行には圧迫された恨みも手伝っているし、
生中な事でウンといわないのも無理もないのだ。 僕の最も恐れたのは、事が長びくと....
「学生時代」より 著者:幸田露伴
理して諸種の便宜を生徒等に受けさせる塾監みたような世話焼が二三人――それは即ち塾
生中の先輩でして、そして別に先生から後輩の世話役をしろという任命を受けて左様いう....
「菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
魔ア……」 梅「何だ阿魔とは怪しからん、知る人かえ」 若「はい、私の処の親父の存
生中から奉公して居ります老僕ですが、こゝで逢いましたのは誠に幸いな事で」 清「ま....
「貞操問答」より 著者:菊池寛
りたい気持を抑えて、階下へ降りてみると、上で気がつかない内にそこの玄関へ、父の存
生中から、出入りしている重松という日本橋の時計屋が来ていた。四、五年前までは、よ....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
た。あくまでも自分の天分を否定し、文学ではとても生活する能力はないものと断念め、
生中天分の乏しいのを知りつつも文学三昧に沈湎するは文学を冒涜する罪悪であると思詰....
「法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
罹ったという古伝をば、全然無視したもののみではなかった。しかしそれはなお太子御存
生中の出来事として、今の建築物はやはりその後太子その人によって建立せられたものだ....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
ニー大学より歴年浅きも、互いに伯仲の間におる。聞くところによるに、一千十三名の学
生中、百六十一人は女学生なりという。シドニー大学の女学生はややこれに倍すとは驚か....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
来た頼経が、実朝の亡くなったあと、将軍に立てられたのは尤もだった。それに、頼朝存
生中も、兼実や慈円やは、東西の外交に、惟れ努めた方だったから、この家筋の人々は鎌....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
四十二年末、少尉任官とともに山形の歩兵第三十二連隊から若松に転任した私は、私の一
生中で最も愉快な年月を、大正四年の陸軍大学入校まで、この隊で過ごしたのである。い....