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「生母〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

生母の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
からことを計っては、いかなる大変をひき起すかも分からぬので、ついには、忠直卿の御生母なる清涼尼《せいりょうに》を越前へ送って、将軍家の意をそれとなく忠直卿に伝え....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
もなるべき筈であるが、かれの腹から跡取りの若殿を生んでいるので、妾とはいえ当主の生母である以上、屋敷の方でも、かれを疎略に扱うことは出来なかった。かれは下屋敷に....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
家の救なくては、如何ともし難いので、長秀を通じて秀吉と和を講じた。秀吉即ち信孝の生母|阪氏並に三法師丸を受け取って、和を容れ、山崎に帰陣した。三法師丸は安土城に....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
い。 やがて乗りつけたところは、やはり伝通院でした。開基は了誉上人、始祖家康の生母がここに葬られているために、寺領六百石を領して、開山堂、弁財天祠、外久蔵主稲....
地獄の使者」より 著者:海野十三
しいので、なおも続いて戸籍調査をしてみたところ、その庶子の伊戸子という娘は、その生母ともろともに、戦災で死んだことが判った。だから今となっては、鶴彌の遺産は弟亀....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
にテンカンもちの風守をも神と認める方をとるのであった。しかし、天罰はかかってその生母たる一女性にあつまる。わが家族制度の悲しい気風だ。彼女が自害したのはそのため....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
まとめに売ってくれさえすれば、十万円でも二十万円でも構わない。一時の恥をしのんで生母にすがる勇気があれば、金額の多少なぞはさしたる問題ではなかろう。この方がむし....
大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
に、男か女かこの俺の見分けが付かねえとは甘え奴さ……秋篠というお局が満千姫様のご生母でそこのお部屋に何から何までお輿入れ道具が置いてあるそうな。信輔筆の六歌仙、....
夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
思い出される。菜園にはまだ雪が消え残っていたのである。 その翌十六年には、父が生母を離別した。鶴見がためには大きな生涯の変動が生じたのである。たまたま国から上....
地上」より 著者:島田清次郎
かだが、一体己達には何にあたるだろう。親爺にとっても従妹、己にとっても従妹、己の生母は親爺の叔母、己には母でそうして大伯母――どうしたことだ! こりかたまった罪....
アラメダより」より 著者:沖野岩三郎
った。 彼女は福知山藩士の佐幕党の娘で、京都では梅田雲浜氏の未亡人や故近衛公の生母から堅い教育を受けた上、東京の女子学院に入って英語をまなんだという人。 『こ....
反省の文学源氏物語」より 著者:折口信夫
の女性である。早くから宮廷に這入っていて、弘徽殿女御と言われた。帝が、後に源氏の生母桐壺更衣を余り寵愛なさるので、自尊心を傷ける。女御の怒りは、日増しにつのって....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
申さば、神功皇后の御母方は、新羅の王子|天日槍の後だとあります。また桓武天皇の御生母なる高野皇太夫人は、百済王家から出られたお方であります。その他にも百済王家か....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
張していても、やはり葬式を扱う事から、自然に人がこれを嫌う。たまたま桓武天皇の御生母が、その土師氏の女の腹から出られたお方であったという関係から、御孝心深くまし....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
和十九年四月八日病没。長男庸太郎も三十三年三月十四日に病いで失った。二人の息子の生母とも別れ、大正末から世帯を持っていたいまの妻と二人きりの生活である。もっとも....