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「生糸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

生糸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
あらくれ」より 著者:徳田秋声
商人《まゆあきゅうど》の姿が多く目に立った。汽車に乗ってからも、それらの人の繭や生糸の話で、持切りであった。窓から頭を出しているお島の曇った目に、鳥打をかぶって....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
にくと上州|商人《あきんど》の三人づれが隣り座敷に泊まり合わせて、夜の更けるまで生糸の売り込みの話などを声高《こわだか》にしゃべっているので、半七らは容易に眠ら....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
かって積み重ね積み重ねして来たこの国の文化ではなくて、この島に産する硫黄、樟脳、生糸、それから金銀の類なぞが、その最初の主なる目的物であったのだ。 十一月下旬....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
万屋さんですか。」と半蔵は受けて、「あの人はぐずぐずしてやしません。横浜の商売も生糸の相場が下がると見ると、すぐに見切りをつけて、今度は京都の方へ目をつけていま....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
方への物資の販路を求めて西は馬籠から東は奈良井辺の奥筋まで入り込むことはおろか、生糸売り込みなぞのためには百里の道をも遠しとしない商人がそこに住む。万屋安兵衛、....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
吉の主人筋に当たり、東京にも横浜にも店を持ち、海外へ東海道辺の茶、椎茸、それから生糸等を輸出する賢易商であった。そのくせ、多吉は西洋のことなぞに一向|無頓着で、....
足迹」より 著者:徳田秋声
ころには、父親と叔母との間も、初めのようにはなかった。叔母が世話をしてくれたある生糸商店の方の口も、自分の職業となると、長くは続かなかった。 「堅くさえしていて....
霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
話でございます。彼の辺は追々と養蚕が盛に成りましたが、是は日本第一の鴻益で、茶と生糸の毎年の産額は実に夥しい事でございます。外国人も大して之を買入れまする事で、....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
てはいなかった。やがて私は、すこし向うの卓子に、鼻の穴から毛の生えてるリヨンの老生糸商と、生水・ENOの果実塩・亜米利加産|肉豆※・芽玉菜だけの食養生を厳守する....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
先代が死んで、ようやく四十九日がすぎたばかりというとき、小沼男爵が坂巻多門という生糸商人をつれてやってきた。 小沼男爵はチヂミ屋の当主久五郎(二十八)の女房政....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
後にも前にもこの時の三十銭限りである。 郷里に帰って私は養蚕の研究をした。当時生糸の海外取引は非常な勢いで、年々増加するばかりであった。したがって養蚕は盛んで....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
印度ほどのことはありません。が、甚だ似たところがあります。日本の生命とも云うべき生糸が千円以下でなければ売れない。農家は繭を一貫三円か四円で売らなければならない....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
最初より期するところに非ざりしに、おいおい日本の様子を見れば案外開けたる国にして生糸その他の物産に乏しからず、随て案外にも外国品を需用するの力あるにぞ、外国人も....
旅客機事件」より 著者:大庭武年
三枝機関士は、向う向きに飛行帽を冠り乍ら、無理に落ちついた風で応えた。 「一人は生糸商人だとかだが、も一人は……」そこで明らかに躊躇した後「……何でも銀行家だと....
私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
しやへん』と口ぐせのようにいっていた。『よし偉いもんになったるぞ』私は当時神戸の生糸検査所の用務員をしていた同村の和助さんにつれられ、母が渡してくれた銅貨まじり....