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生馬
「生馬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
生馬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
詮議していたが、どこへも馬を売りに来たという噂は聞かなかった。ほかの物と違って、
生馬《いきうま》を戸棚や縁の下に隠して置けるはずもないのであるから、近在の大きい....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
あるまいと油断している。現に西の宮の時には盗難もなかったそうです。それでも江戸は
生馬の眼をさえ抜く所だからと云うので、寺男がひと晩のうちに三度は見廻ることになっ....
「号外」より 著者:国木田独歩
々砲撃しつつあり、二十六日|九里島対岸においてたおれたる敵の馬匹九十五頭、ほかに
生馬六頭を得たり―― 「どうです、鴨緑江大捷の前触れだ、うれしかったねえ、あの時....
「千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
なかった。 到頭、わたしは七年も山の上で暮した。その間には、小山内薫君、有島|
生馬君、青木|繁君、田山花袋君、それから柳田国男君を馬場裏の家に迎えた日のことも....
「江戸か東京か」より 著者:淡島寒月
しましたね。 この江戸と東京との過渡期の繁華は、前言ったように、両国が中心で、
生馬の眼をも抜くといった面影は、今の東京よりは、当時の両国に見られました。両国で....
「大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
めに画面の拡大され来たったことも目立つところのことである。 それから今年は有島
生馬氏の滞欧作品と津田青楓氏の特別出品があり、その他川口軌外、福沢一郎両氏等の近....
「昭和二年の二科会と美術院」より 著者:寺田寅彦
二科会(カタログ順) 有島
生馬氏。 この人の色彩が私にはあまり愉快でない。いつも色と色とがけんかをしている....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
だけは大そうだが、こちとらは金持ちとちがって一文無しで叩き上げた筋金入りの腕前。
生馬の目玉をぬく江戸の天狗連を総ナメのアンチャンだ。二目はおろか三目でも負かして....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
」 駕籠の戸をあけて騒動を見ていた、井上嘉門が嘲笑うように云った。 「だから一
生馬方商売、それ以上にはなれませんので。ハッハッハッ」と附け加えた。 そこへ陣....
「回想録」より 著者:高村光太郎
実とは非常に違うのである。 四年ばかりして外国から帰って来た。その当時矢張有島
生馬、南薫造の両君が帰って来て、二人の展覧会が上野で開かれたがそれが新しい傾向と....
「ヒウザン会とパンの会」より 著者:高村光太郎
したアカデミックな風潮に対抗して、当時徐々に新気運は動きつつあった。その頃、有島
生馬、南薫造の諸氏も欧洲から帰朝したばかりで烈々たる革新の意気に燃えていた。 ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
た所などは感心じゃないか」 など、何処までもお人柄な隠居気質。こういうところは、
生馬の目を抜くような江戸の真ん中で若い時から苦労ずくめの商売をした人のようでもな....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
酉の市ほど甚い雑踏はないのだから、実に無量雑多な人間が流れ込んで来る。とにかく、
生馬の目でも抜こうという盛り場のことで、ぼんやりしていては飛んだ目に逢うのですが....
「フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
をはじめ私たち「パンの会」の一連が集って盛んに鬱憤を晴らしていると、その席へ有島
生馬君の携えて来たのが『白樺』の創刊号であった。それから時代が次第に浪漫派から人....
「俗臭」より 著者:織田作之助
千恵造はいつまでも権右衛門の家にごろ/\し、帳場に使われていた。他の兄弟の様な、
生馬の眼をぬく商魂がなかったのだ。その代り、代用教員をやれるだけあって筆が立った....