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「用明天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

用明天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
て、大いに松雲も省みるところがあった。和尚がことに心をひかれたのは、人皇三十一代用明天皇第二の皇子、すなわち厩戸皇子ののこした言葉と言い伝えられるものであった。....
夢殿」より 著者:楠山正雄
教えが、外国から伝わって来た時分のお話でございます。 第三十一|代の天子さまを用明天皇と申し上げました。この天皇がまだ皇太子でおいでになった時分、お妃の穴太部....
炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
極りの譚の筋で、結局それを採集して大福長者になり、その娘の玉世姫というのは時の帝用明天皇に恋い慕われて、都から使者を遣わしてお招きに預るという様な、竹取物語もど....
間人考」より 著者:喜田貞吉
には、これを※部」の語が「間人」の語と通じて用いられた事は、同じ皇女の御事を同書用明天皇元年の条及び推古天皇元年の条に、ともに穴穂部間人皇女とあるによって察せら....
法隆寺再建非再建論の回顧」より 著者:喜田貞吉
四、今の金堂の間取りは当初のものと異なるべき事。 言うまでもなく法隆寺はもと用明天皇の御為に敬造した薬師仏を本尊としたもので、その後太子の御為に釈迦仏を敬造....
古事記」より 著者:太安万侶
の四月六日にお隱れになりました。御陵は河内《かわち》の科長《しなが》にあります。用明天皇 弟のタチバナノトヨヒの命(用明天皇)、大和の池の邊の宮においでになつ....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
伝わって後も、僧尼・律師・呪禁師・沙門等の称はあるが、法師の通称はみえておらぬ。用明天皇二年、帝病あり、皇弟皇子等豊国法師を引いて内裏に入れたとあるのが、僧侶と....