田安[語句情報] » 田安

「田安〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

田安の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
関に取次《とりつぎ》があるよ、安兵衞《やすべえ》」 安「へー」 つか/\と和田安兵衞が取次に出ました。と見ると文治郎水色に御定紋染《ごじょうもんぞめ》の帷子....
闖入者」より 著者:大阪圭吉
、そこで夫の死を発見けた事などを小さな声で呟くように答えた。 別荘番の老人|戸田安吉は、事件の起きた五時頃の前後約一時間と云うものは、浴室の裏の広場で薪を割り....
賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
にもゆかないので、三月七日、先鋒の大将として、佐久間|玄蕃允盛政、従う者は、弟保田安政、佐久間勝政、前田又左衛門尉利家、同子孫四郎利長等を始めとして、徳山五兵衛....
真田幸村」より 著者:菊池寛
地なる甲州を添え、それに沼田のある上州を加えて、三ヶ国位は貰えたであろう。 真田安房守昌幸は戦国時代に於ても、恐らく第一級の人物であろう。黒田如水、大谷吉隆、....
名人長二」より 著者:三遊亭円朝
|鍜冶の名人と呼ばれました神田の地蔵橋の國廣の打った鑿と、浅草田圃の吉廣、深川の田安前の政鍜冶の打った二挺の鉋の研上げたのを検て居ります。年のせいで少し耳は遠く....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ない。過ぐる文久三年十一月十五日の火災で、本丸、西丸、共に炎上した。将軍家ですら田安御殿の方に移り住むと聞くころだ。西丸だけは復興の工事中であるが、それすら幕府....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
なさい、天璋院さまはそういう人でしょう。今度、城を明け渡すについては、和宮さまは田安の方へお移りになるから、あなたは一橋家の方へお移りなさいと言われても、容易に....
みみずのたはこと」より 著者:徳冨健次郎
女の妹が、紫の袴をはいて位牌を持った。六十前後の老衰した神官が拍手を打って、「下田安子の命が千代の住家と云々」と祭詞を読んだ。快くなったら姉の嫁した家へ遊びに行....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
なきかで、これより常盤橋内なるがまだ遥かにその趣はある。 御門は桜田と半蔵と、田安とが最もよく昔のままをあらわし、次いで和田倉門(辰の口)も殆んどそのままだ。....
神秘昆虫館」より 著者:国枝史郎
答えたのは一式小一郎で、年は二十三で、鐘巻流《かねまきりゅう》の名手であり、父は田安家《たやすけ》の家臣として、重望のある清左衛門であった。しかし小一郎は仕官し....
北斎と幽霊」より 著者:国枝史郎
」 「むう」 とにわかに北斎は腕を組んで唸り出した。 当時における谷文晁は、田安中納言家のお抱え絵師で、その生活は小大名を凌ぎ、まことに素晴らしいものであっ....
仇討姉妹笠」より 著者:国枝史郎
いた二十五六歳の武士があったが、 「縹緻も佳いが芸も旨いわい」と口の中で呟いた。田安中納言家の近習役の、山岸主税という武士であった。 色白の細面、秀でた眉、高....
三筋町界隈」より 著者:斎藤茂吉
、父が此処に開業している間に、診察の謝礼に賀茂真淵書入の『古今集』を貰った。多分田安家に奉ったものであっただろうとおもうが、佳品の朱で極めて丁寧に書いてあった。....
『七面鳥』と『忘れ褌』」より 著者:佐藤垢石
義挙に加わること。また、重傷を蒙りて進退意の如くならざる者は、斎藤監物に率いられ田安殿、内藤殿、脇坂殿いずれへなりと、自訴すること。以上承知ありたい』 厳かに....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
ずから先住民族たることを認めていたらしく解せられる。そはその子孫なりと自称する秋田安東氏が、みずから長髄彦の兄の後裔なることを主張し、秋田実季の文書にもそれが歴....