田端[語句情報] » 田端

「田端〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

田端の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
年末の一日」より 著者:芥川竜之介
い動坂《どうざか》の往来もふだんよりは人あしが多いらしかった。門に立てる松や竹も田端青年団詰め所とか言う板葺《いたぶ》きの小屋の側に寄せかけてあった。僕はこう言....
」より 著者:芥川竜之介
日(五月)午前八時|四十分《しじっぷん》、奥羽線上《おううせんのぼ》り急行列車が田端駅《たばたえき》附近の踏切《ふみきり》を通過する際、踏切番人の過失に依《よ》....
幽霊妻」より 著者:大阪圭吉
ったのでございます。 申し忘れましたが、奥様の御墓所は谷中墓地でございまして、田端のお邸からはさして遠くもございませんので、私共は歩いて参りましたのでございま....
菊模様皿山奇談」より 著者:三遊亭円朝
きな籠を脊負ってお芋だの大根だの、菜や何かを売りに来る婆でございます」 秋「あ、田端辺からまいる老婆か、久しく来んで居ったが、何ぞ買ってやったら宜かろう」 浪「....
柿の種」より 著者:寺田寅彦
ばで聞いていたから、確かな事実である。(大正十年十一月、渋柿) *田端の停車場から出て、線路を横ぎる陸橋のほうへと下りて行く坂道がある。 そこの....
写生紀行」より 著者:寺田寅彦
りの古い布切れとを風呂敷で包み隠したのをかかえて市内電車で巣鴨まで行った。省線で田端まで行く間にも、田端で大宮行きの汽車を待っている間にも、目に触れるすべてのも....
鞄らしくない鞄」より 著者:海野十三
の本来の面目は次の章に於《おい》て一層よく知れよう。 秘密地下室 省線|田端《たばた》駅を下りて西側に入り、すぐ右手の丘をのぼり切るとそこに目賀野邸があ....
ある男の堕落」より 著者:伊藤野枝
職人をしていたのです。 彼が、しげしげと私の家に来るようになったのは、私共が、田端で火事に焼け出されて、滝野川の高台の家に越してからでした。 それ程深い交渉....
革鞄の怪」より 著者:泉鏡花
だふりと膨だみを揺った形が、元来、仔細の無い事はなかった。 今朝、上野を出て、田端、赤羽――蕨を過ぎる頃から、向う側に居を占めた、その男の革鞄が、私の目にフト....
枯菊の影」より 著者:寺田寅彦
で聞いているような気がする。何処か遊びに行ってみたい。行かれぬのでなおそう思う。田端辺りでも好い。広々した畑地に霜解けを踏んで、冬枯れの木立の上に高い蒼空を流れ....
東京に生れて」より 著者:芥川竜之介
えたりして、安直なセンチメンタリズムが厭なのである。さういふものゝ僕の住んでゐる田端もやはり東京の郊外である。だから、あんまり愉快ではない。....
わが童心」より 著者:佐藤垢石
の試験は、八月の末か九月の初旬で、飛白の単衣に、朝夕の秋風が忍び寄る頃であった。田端の高台にある下宿屋に移り、駒込の学校へ通う路すがらの田の畦に蟋蟀が唄う秋の詩....
二葉亭余談」より 著者:内田魯庵
いよ益々深くした。 三十六年、支那から帰朝すると間もなく脳貧血症を憂いて暫らく田端に静養していた。病気見舞を兼ねて久しぶりで尋ねると、思ったほどに衰れてもいな....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
あった。 北京から帰朝したのは三十六年の七月で、帰ると間もなく脳貧血症に罹って田端に閑居静養した。三十七年の春、日露戦争が初まると間もなく三月の初め内藤湖南の....
春泥」より 著者:久保田万太郎
\いうこたァねえ。――日暮里を来すぎたら、こゝまで来たんだ、もう一※|呼吸伸して田端へ出りゃァいゝ。」 「田端?」 「驚くこたァねえ、こゝを抜けて崖ッぷちへ出り....