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田辺元
「田辺元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
田辺元の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
弁証法と呼んでいる。だがこの無的弁証法が結局同一哲学的神秘論理に帰着することは、
田辺元博士等が批評する通りだろう。神秘主義でない西田哲学は、その論理に於て却って....
「道徳の観念」より 著者:戸坂潤
は与えられていなかったと云わねばならぬ(カント哲学の体系づけを試みた良書としては
田辺元『カントの目的論』がある)。 こうしてカントの倫理学は、認識理論や芸術理....
「読書法」より 著者:戸坂潤
理学関係からする研究も乏しいし、心理学関係からするのも乏しい。比較的眼につくのは
田辺元博士や高橋里美教授による哲学的研究であるが、之もまだ包括的なものでない。処....
「科学論」より 著者:戸坂潤
t des physikalischen Weltbildes (1909)――
田辺元訳『物理学的世界像の統一』(岩波哲学叢書)。同じく Das Weltbil....
「イデオロギーの論理学」より 著者:戸坂潤
る。 この書物を出版するには多くの人々の好意がなければならない。特に私は、恩師
田辺元博士と先輩三木清氏との名を挙げようと思う。私の頭を初めてこの方向に向けて呉....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
過去から今日に至るまでの影響に相応するものは、色々の形で意外な処に現われている。
田辺元博士は自然弁証法なるものの本来の意義を承認しない唯物論理解者の一人であるが....
「現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
解釈に対する、吾々の態度を覚え書きにして見たものである。読者は、西田幾多郎博士・
田辺元博士・三木清氏等々の、意外にも殆んど同じい一つの性格に落ち合う処の最近の記....
「現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
Band (1913) 〕等。
二、幾何学的空間及び物理的空間に関しては、
田辺元『数理哲学研究』(一九二四年)。
〔Bergson, H. : Dure'....
「世界の一環としての日本」より 著者:戸坂潤
17 「やまと魂」学派の哲学 私はかつて「京都学派」の名の下に、西田幾多郎・
田辺元・両博士の学的性格を指摘した(拙著『現代哲学講話』)。それで以てわが国のア....
「辞典」より 著者:戸坂潤
しての或る意味を有つと考え、従って所謂自然そのものには弁証法を拒否する者もある(
田辺元、西田幾多郎の諸氏)。――併し之に対する反駁は唯物論そのものの主張から行わ....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
着させるもので、思想運動の原理たるに耐えぬことを告白するものだ。この点から云って
田辺元氏のラショナリズムの主張に立つヒューマニズム批判及び時局批判は、注目される....
「最近日本の科学論」より 著者:戸坂潤
ている国民道徳みたいなものにあったと見える)。自然科学論もまたその頃は、石原純・
田辺元・等の諸氏の業績にも拘らず、何等専門家に真の関心を強いるものではなかった。....
「技術的精神とは何か」より 著者:戸坂潤
第二にそれは合理的精神とされる。理性的推理の精神であり、つまり論理的精神である。
田辺元博士はこの二つの規定を以て、相反する二つの契機と見做す。実験と理論との対立....
「読書遍歴」より 著者:三木清
たことは、その遠い原因は波多野先生の感化にあるといえるであろう。 二年生の時、
田辺元先生が東北から東京へ来られたことも、私の成長にとって重要なことである。ドイ....
「科学と文化」より 著者:中谷宇吉郎
試みをする人が出て来ている。この両方の企ては共に大変結構なことであり、また例えば
田辺元《たなべはじめ》博士の如く立派なちゃんとした正道にのった議論をしている人も....