由比[語句情報] » 由比

「由比〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

由比の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
幽光院というのは元和《げんな》元年の建立《こんりゅう》にかかるもので、慶安四年の由比《ゆい》正雪騒動のときまで前後三十年間ほど関八州一円に名をうたわれていた虚無....
大衆文芸作法」より 著者:直木三十五
と見た。 我田引水のように聞えるかもしれないが、敢て手前味噌を云えば、拙作「由比根元大殺記」(目下「週刊朝日」連載中)の中の立廻りは、今までの大衆文芸のあり....
泣虫小僧」より 著者:林芙美子
子が、学芸会の席で、鎌倉を暗誦して読みあげたことがあったが、実にいい声であった。由比の浜辺を右に見て 雪の下道過行けば 八幡宮の御やしろ のあたりなどは、彼....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
大地震があったと噂しあったということである。仁治元年四月の地震には海嘯があって、由比ヶ浜の八幡宮の拝殿が流れた。建長二年七月の地震は余震が十六度に及んだ。 正....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
勢《せい》がついて、誰か謀叛気《むほんぎ》のある大名でも後ろだてになった日には、由比の正雪の二の舞だ、というようなわけでごいしょう。人間も馬鹿じゃいけねえが、そ....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
れないのである。 補記。近時|沢瀉久孝氏は田児浦を考証し、「薩※峠の東麓より、由比、蒲原を経て吹上浜に至る弓状をなす入海を上代の田児浦とする」とした。 ....
獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
意のあることを知らせます。 八月三日 〔巣鴨拘置所の顕治宛 駒込林町より(鎌倉由比ヶ浜海水浴場の写真絵はがき)〕 八月三日。『文芸』の「かささぎ」という小説....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
った。そこで弘長元年五月十二日幕吏は突如として、彼の説法中を小町の街頭で捕えて、由比ヶ浜から船に乗せて伊豆の伊東に流した。これが彼の第二の法難であった。 この....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
敬することの甚しさは門弟一同に共通したものであった。 そこで世間は取沙汰して、由比正雪の現代版現る、なぞと説をなすものが次第に多くなった。 由比正雪は天下を....
恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
った。今夜は金沢で泊ることにして、見物はまずいい加減に切上げて、鎌倉のお名残りに由比ヶ浜へ出て、貝をあさる女子供の群れをながめながら、稲村ヶ崎の茶屋に休んでいる....
南国太平記」より 著者:直木三十五
、つまり、将軍家を、倒そうというんですかい」 南玉は、尤もらしく腕組をして 「由比正雪じゃあるめえし、益満さん、いくら、貴下が、利発でも――」 「駄講釈師の知....
落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
体である。姉たちがそうであったように、彼も幼少から美童であったが、戻ってきた彼は由比正雪もかくやと思う気品と才気がこもり、大そうおだやかで、いつもニコニコしてい....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
らぬが、しかしちょっとお待ち下さい」といって外に出られました。 ほどなく由比少佐が出て来られて、やはり同じように伊藤さんの仰しゃった事を始めに言うて、そ....
頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
右大将家の寝所の周囲を見廻っていた。 五日の月はほんのりと庭の白沙を照らして、由比ヶ|浜の方からは穏かな波の音が、ざアーア、ざアーアと云うように間遠に聞こえて....
父の出郷」より 著者:葛西善蔵
も可哀相だった。彼は中学入学の予習をしているので、朝も早く、晩日が暮れてから遠い由比ヶ浜の学校から帰ってくるのだった。情愛のない、暗い、むしろ陰惨な世界だった。....