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「町名〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

町名の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
心中浪華の春雨」より 著者:岡本綺堂
が》に就いてなんの係り合いもないことは判り切っている。また一方には親方の庄蔵から町名主《まちなぬし》にその事情を訴えて、六三郎の赦免をしきりに嘆願したので、結局....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
と雑司ヶ谷の二十五日であると云った。かれは半七の問いに対して、更にその仕事さきの町名や家号などをも一々くわしく答えた。 「よし、わかった。これで今日は帰してやる....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
た。 三 鳳閣寺の境内を出て、半七は更に久保町へむかった。ここらにも町名主の玄関はある。半七はその玄関をおとずれて町役人に逢い、かの片腕の一件につい....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
で、今日ではその所在地が麻布区|笄町百番地ということになっていますが、笄町という町名は明治以後に出来たもので、江戸時代にはこの辺一帯を笄と呼び慣わして、江戸の切....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
千駄ヶ谷の一部を俗に新屋敷と唱えまして、新屋敷六軒町、黒鍬町、仲町通りなどという町名がありました。いつの時代にか新らしい屋敷町として開かれたので、新屋敷という名....
妖術」より 著者:泉鏡花
すように置くと、手巾ではっと口を押えて、自分でも可笑かったか、くすくす笑う。 「町名町名、結構。」 一帆は町名と聞違えた。 「いいえ、提灯なの。」 「へい、....
河明り」より 著者:岡本かの子
るべの石」がある。安政時代、地震や饑饉で迷子が夥しく殖えたため、その頃あの界隈の町名主等が建てたものであるが、明治以来|殆ど土地の人にも忘れられていた。 とこ....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
なり、維新後は桑茶栽付所となり、さらに拓かれて町となった。昔は薬園であったので、町名を元園町という。明治八年、父が初めてここに家を建てた時には、百坪の借地料が一....
日本脱出記」より 著者:大杉栄
を通って、目的の何とか路何とか里というのに着いた。僕はこの何とか路何とか里という町名だけ支那語で覚えて来たのだ。 尋ねる筈の家は二軒あった。同じ何とか里の中の....
棺桶の花嫁」より 著者:海野十三
吾妻橋と被服廠跡との丁度中間ほどにある原庭町の広い焼け野原のところ――といっても町名は明かではなく、どこからどこまでも区切のない茫漠たる一面の焼け武蔵野ヶ原であ....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
(人)Abbott. 名はベンジャミン。 アルベマール(地)Albemarle.町名。 アストレー(地)Astley. 興業物の名。 アセニウム倶楽部 Athe....
三枚続」より 著者:泉鏡花
き助手を両名使って、なお詰めかける患者を引受け切れず、外神田に地を選んで、住所の町名をそのまま、明石病院というのを私立で当時建築中、ここで山の手の病家を喰留めよ....
妖怪学」より 著者:井上円了
これを慕って族籍の不明なるものなどはみな、かく称したるものなり。そのほか、村名、町名、橋名等、一つもかかる縁起によらざるはなし。有楽町と称する町あれども、有苦町....
思い出草」より 著者:岡本綺堂
となり、維新後は桑茶栽付所となり、更に拓かれて町となった。昔は薬園であったので、町名を元園町という。明治八年、父が始めてここに家を建てた時には、百坪の借地料が一....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
世辞上手な利口者なら町内の交際ぐらいは格別|辛くも思わないはずだが、毎年の元旦に町名主の玄関で叩頭をして御慶を陳べるのを何よりも辛がっていた、負け嫌いの意地ッ張....