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「町年寄〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

町年寄の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
った。 長崎に着いたのは十一月八日の朝である。舟引地町の紙屋と云う家に泊って、町年寄福田某に尋人の事を頼んだ。ここで聞けば、勧善寺の客僧はいよいよ敵らしく思わ....
堺事件」より 著者:森鴎外
になった。 二月十五日の事である。フランスの兵が大阪から堺へ来ると云うことを、町年寄が聞き出して軍監府へ訴え出た。横浜に碇泊していた外国軍艦十六|艘が、摂津の....
最後の一句」より 著者:森鴎外
与力にはこう言った。この願書は内見したが、これは奉行に出されぬから、持って帰って町年寄に出せと言えと言った。 与力は、門番が帰そうとしたが、どうしても帰らなか....
魔像」より 著者:林不忘
神田の伊豆伍の店へズイとはいって来たのは、金山寺屋音松である。月番《つきばん》の町年寄《まちどしより》立会《たちあ》いの上で、おろおろしている伊豆伍夫婦にお上の....
平賀源内捕物帳」より 著者:久生十蘭
》の日で、甲必丹《カピタン》は奉行所を訪問して賀詞《がし》を述べ、それから代官、町年寄などの家を廻って歩く。蘭館では饗宴の席を設け、奉行並に奉行所役人、通詞《つ....
京都学校の記」より 著者:福沢諭吉
より期して待つべきなり。 小学校の教師は、官の命をもって職に任ずれども、給料は町年寄の手より出ずるがゆえに、その実は官員にあらず、市井《しせい》に属する者なり....
早耳三次捕物聞書」より 著者:林不忘
る。」 何を訊かれてもかく言うだけだった。早耳三次は家主甚右衛門ならびに茶屋町町年寄一統とともに、改めて辰のために何分のお慈悲を願い出たという。....
釘抜藤吉捕物覚書」より 著者:林不忘
いさんしょしゅうのえんざんへぶんざんこれあるべくそうろう》 文久元酉年 夏至町年寄一同 大小天狗中 降魔神中 彦兵衛はにやりと笑った。五....
間人考」より 著者:喜田貞吉
門男は百姓に取り立てられる道が開かれていたのみならず、門男百姓にして庄屋・畔頭・町年寄役に就く事も出来たという。阿波においても間人は次第に解放せられた。田所君の....
鳴門秘帖」より 著者:吉川英治
策の相談。まず何よりの問題は、お葬式の費用であった。 「しかたがありませんから、町年寄へ泣きついて、いくらかお慈悲を仰ごうじゃありませんか」 「駄目駄目。およし....
大岡越前」より 著者:吉川英治
手落ちがなく、双方によろこばれた。 その点で、この頃は、江戸の町名主や五人組の町年寄たちのあいだに、 (和合大岡。鬼|出雲) などという隠語がつかわれたりし....