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画壇
「画壇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
画壇の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「母子叙情」より 著者:岡本かの子
でいるらしく、ラントランシジャンとかそう云った手堅い巴里新聞の学芸欄に、世界尖鋭
画壇の有望画家の十指の一人にむす子の名前が報じられて来るようになって来た。むす子....
「画学校時代」より 著者:上村松園
かりいましたが、 「画学校も大発展を遂げて、ついに百名に達しましたることは、日本
画壇の前途のためにまことに慶賀すべきことであります」 校長の吉田秀穀先生が、そ....
「巴里のむす子へ」より 著者:岡本かの子
間の職分として当然のことであるとだけは言った。だのに、おまえはその本場の巴里で新
画壇の世界的な作家達と並んで今や一かどのことをやり出した。勿体ない、私のような者....
「想像と装飾の美」より 著者:岸田劉生
よき芸術的経験を君たち自身が感味するだろう。この事はもし現われるとしたら、今日の
画壇にとって或る喜びであろう。よき芽はよき畑にまかれる必要がある。ついでだからい....
「三人の師」より 著者:上村松園
い逞しい筆をたばねて一種の腕力を以て一気にさっとかかれたものである。 当時京都
画壇には今尾景年先生、岸竹堂先生、幸野楳嶺先生、森寛斎先生などの方々がそれぞれ一....
「高原の太陽」より 著者:岡本かの子
花のいのちが美事にかがやき溢れた逸品であった。その優秀への讃辞は校内から広く一般
画壇にまで拡がった。青年は眼も全快して父母の家に帰っているかの女にその絵を携えて....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
タリ適っているような、大丈夫の心持でございます。絵三昧に入っているのであります。
画壇の揉めごとも、対岸の火事を眺める気持がして、その渦中には入れません。この境地....
「最初の出品画」より 著者:上村松園
今でこそ洋画にしろ日本画にしろ、モデルというものが大きな問題となっているが、今から四、五十年も前の我が
画壇をふり返ってみると、そんなものはまるでなかった。 私の最初の展覧会出品画は....
「茶の本」より 著者:岡倉由三郎
ために費やし、横山、下村、菱田などいう当時の新進気鋭の士の協力を獲て、明治中葉の
画壇に一新気運を喚起した後、明治三十四年(一九〇一)の末に至り、鬱勃の元気に駆ら....
「不吉の音と学士会院の鐘」より 著者:岩村透
方面から突込むのも面白いが、この話は音の怪に属する。 他の事でも無い。英吉利の
画壇で有名な人でハークマと言えば知らぬ人はない。この人はローヤルアカデミーの会員....
「松園女史の思い出」より 著者:金子薫園
麗しい童すがたが、見知らぬ私の方をものめずらしそうに見るのであった。それは今京都
画壇の中堅である松篁さんであった。 鶯はまだ啼きやまない。 窓越しに見ると、....
「古い記憶を辿って」より 著者:上村松園
された直後の事でしたので、その話をしていられました。伝統的な手法を忘れて、一体に
画壇が軽佻浮薄に流れていけないというようなお話を、しきりにせられていました。 ....
「栖鳳先生を憶う」より 著者:上村松園
に、〈春の草叢〉と題して庭園の春の芭蕉の下に鼬を描かれた出品画なども大変に当時の
画壇に反響を与えた、よい作でありました。 七十七の喜の字のお祝いを致されおめで....
「想い出」より 著者:上村松園
歳で私は小学校を終えますと、どうしても絵が描きたく、母にせがみまして、その頃京都
画壇再興の為に出来ました画学校に入れて貰いました。河原町御池、今の京都ホテルの処....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
った、みんな、みんな、愛情だった そうしてお前は好い児に育った 今は巴里の 尖端
画壇の中堅作家 お茶喫むかわが児よ巴里に 絵を描くか、友と語るか 日本の母を忘れ....