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画学
「画学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
画学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玄鶴山房」より 著者:芥川竜之介
――玄鶴と云うのは何だろう?」
たまたまこの家の前を通りかかった、髪の毛の長い
画学生は細長い絵の具箱を小脇《こわき》にしたまま、同じ金鈕《きんボタン》の制服を....
「生まれいずる悩み」より 著者:有島武郎
っていたかもしれない。 その晩になって一封の手紙が君から届いて来た。やはり厚い
画学紙にすり切れた筆で乱雑にこう走り書きがしてあった。 「北海道ハ秋モ晩クナリマ....
「雛妓」より 著者:岡本かの子
わず、山の手からは遠出のこの不忍の池へ来たのには理由があった。いまから十八年前、
画学生の逸作と娘歌人のわたくしとは、同じ春の宵に不忍池を観月橋の方から渡って同じ....
「画学校時代」より 著者:上村松園
十三年の年に小学校を卒業し、翌年十四歳の春、京都府立
画学校へ入学しました。 明治二十一年のことでありますから、女が絵の学校へはいる....
「友人」より 著者:上村松園
またまあったところで自分よりも歳下の女性と話し合う気もおこらず、また男の方だと、
画学校や絵画の集会などではとにかくとして、親しく交際するということは思いも寄らな....
「あのころ」より 著者:上村松園
自然に覚えこんでしまったものでありましょう。 そのような訳で、小学校をすますと
画学校へ入りましたのも、べつだん画で身を立てようという訳ではなく、 「好きなもの....
「三人の師」より 著者:上村松園
る。 松年先生は百年先生の実子であるが、その画風は百年先生と全然ちがっていた。
画学校時代の松年先生は、ほかの先生方と違って豪放磊落なやりかたで、学校でも他の先....
「好きな髷のことなど」より 著者:上村松園
茶の袴 私が
画学校に行っていた時、学校の古顔に前田|玉英さんがいました。その頃二十二、三ぐら....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
桜戸玉緒といって桜花の研究者だったのです。また文人画の修業に京都に来ているという
画学生から、竹や蘭の絵をもらったこともありました。 こうして私の絵好きは、親類....
「雷同性に富む現代女流画家」より 著者:上村松園
て来なければならないという道を選んだわけであります。私は今の美術学校の前身である
画学校で絵を習いましたが、その時分の先生が鈴木松年さんで、なかなか筆の固い人で、....
「最初の出品画」より 著者:上村松園
。 その時のことですが、私の親戚で、ひとりなかなかよくゴテる叔父がおって、私が
画学校に通うことを非常に嫌い、というより、母が私を許して絵の学校へやっていること....
「冷かされた桃割娘」より 著者:上村松園
、今はもう殆どあせ果てています。 十三の歳に今の京都ホテルのところにあった府立
画学校に入りましたが、一年程して鈴木松年さんの塾に移りました。 この松年さんの....
「随想」より 著者:上村松園
ったことが、後にふり返ると滑稽にも思われる。 私は明治二十年、十三歳の頃京都の
画学校に入ったが、その時分の学校は今の京都ホテルの処にあって、鈴木松年先生が北宗....
「今日になるまで」より 著者:上村松園
頃は、女が絵を習うと言うのは一般に不思議がる頃でした。十四の年に親類の承知しない
画学校へ入学さして貰ったのです。 私の師匠は鈴木松年先生が最初で、人物を習い、....
「想い出」より 著者:上村松園
と、どうしても絵が描きたく、母にせがみまして、その頃京都画壇再興の為に出来ました
画学校に入れて貰いました。河原町御池、今の京都ホテルの処に建物がありまして、土手....