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留学
「留学〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
留学の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「湖南の扇」より 著者:芥川竜之介
業している。」
譚永年《たんえいねん》は僕と同期に一高から東大の医科へはいった
留学生中の才人だった。
「きょうは誰かの出迎いかい?」
「うん、誰かの、――誰だ....
「将軍」より 著者:芥川竜之介
を見せても好《い》いか?――そう云う体面を重ずるには、何年か欧洲《おうしゅう》に
留学した彼は、余りに外国人を知り過ぎていた。
「どうしたのですか?」
仏蘭西《....
「或る女」より 著者:有島武郎
ろんわれ先にそこに馳《は》せ参じた。そこからだんだん細く糸のようにつながれて若い
留学生とか学者とかいう連中が陣を取り、それからまただんだん太くつながれて、葉子と....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
栄華は、一にこの夫人に因って代表さるると称して可い。 夫の理学士は、多年西洋に
留学して、身は顕職にありながら純然たる学者肌で、無慾、恬淡、衣食ともに一向気にし....
「三角形の恐怖」より 著者:海野十三
してあったのではないかと思うのです。遺憾なことに須永さんもそれから数年後、英国へ
留学して、あの地で奇妙なバクテリアに取憑れて亡くなったので、そんな事に気がついた....
「売色鴨南蛮」より 著者:泉鏡花
話の主人公となったのは、大学病院の内科に勤むる、学問と、手腕を世に知らるる、最近
留学して帰朝した秦宗吉氏である。 辺幅を修めない、質素な人の、住居が芝の高輪に....
「「吶喊」原序」より 著者:井上紅梅
改変するのだ。わたしはその時当然文芸を推した。そこで文芸運動の提唱を計り、東京の
留学生を見ると多くは法政、理化を学び、警察、工業に渡る者さえ少くないが、文芸、美....
「頭髪の故事」より 著者:井上紅梅
「まさか髪の毛の苦しみが、わたしの番に廻って来ようとは思わなかった。 わたしは
留学に出るとすぐに髪を切った。これは別に深い意味があったわけでなく、ただこれがあ....
「幸福な家庭」より 著者:井上紅梅
に自由な条約を訂結している。それに高等な教育と、高尚にして優美な……しかし日本の
留学生はもう流行らない。――そんなら仮りに西洋の
留学生としておこう。主人はいつも....
「良夜」より 著者:饗庭篁村
職工となりしよし驚き気遣うところなり、さらに学資も送るべし、また幸いに我が西京に
留学せし頃の旧知今はよき人となりて下谷西町に住うよし、久しぶりにて便りを得たり、....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
えこんだのである。しかして哲学およびその他精神科学研究のために西洋に派遣せらるる
留学生には主としてドイツに往くことを勧誘したのである。わが国においてドイツ哲学の....
「明治哲学界の回顧」より 著者:井上哲次郎
したもので、だんだん継続して近世哲学に及ぶはずであったけれども、その翌年ドイツに
留学することになったために、三冊で終った。ところがその後、有賀長雄が中世哲学を加....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
古川常一郎の義弟であったからなお更|益々交誼を厚くした。その後間もなく西が外務の
留学生となって渡支してからも山海数千里を距てて二人は片時も往復の書信を絶やさなか....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
造しようとしたは当時の内閣の智嚢といわれた文相森有礼であった。森は早くから外国に
留学した薩人で、長の青木周蔵と列んで渾身に外国文化の浸潤った明治の初期の大ハイカ....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
ねる機会も無くそのままとなったのは、未だに心残りである。 大正十二年、ドイツに
留学。ある日、安田武雄中将(当時大尉)から、ルーデンドルフ一党とベルリン大学のデ....