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「畝傍〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

畝傍の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
田原坂合戦」より 著者:菊池寛
云うに及んで、岩倉は黙し、ついにその事も行われなかった。 此年一月末明治天皇は畝傍御参拝の為軍艦に召されて神戸に御着、京都にあらせられた。陸軍中将山県有朋は、....
死者の書」より 著者:折口信夫
伏せたように見える遠い小山は、耳無の山であった。其右に高くつっ立っている深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安の池ではなかろうか。其東に平たくて....
大和路・信濃路」より 著者:堀辰雄
しそうな空合いでしたが、最後の日なので、おもいきって飛鳥ゆきを決行しました。が、畝傍山《うねびやま》のふもとまで来たら、急に日がさしてきて、きのうのように気もち....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
・一四〕 天智天皇 中大兄(天智天皇)の三山歌の反歌である。長歌は、「香具山は畝傍を愛しと、耳成と相争ひき、神代より斯くなるらし、古も然なれこそ、現身も妻を、....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
ある。遠く南の方には三輪山、多武の峯、吉野連山から金剛山へと続き、薄い霞のなかに畝傍山・香久山も浮いて見える。東には三笠山の連山と春日の森、西には小高い丘陵が重....
古事記」より 著者:太安万侶
。そこでかようにして亂暴な神たちを平定し、服從しない人どもを追い撥《はら》つて、畝傍《うねび》の橿原《かしはら》の宮において天下をお治めになりました。 神の御子....
日本の伝説」より 著者:柳田国男
とを、もう千年も前の人がいい伝えておりました。 大和では天香久山と耳成山とが、畝傍山のために喧嘩をした話が、古い奈良朝の頃の歌に残っております。それとよく似た....
エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
同じく、もと夙の名があっても、その職業からエタ仲間になったものであろう。 大和畝傍山麓の洞村の如きも、もと陵戸か守戸かであったと思われるが、後世の地図には「穢....