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畿内
「畿内〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
畿内の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或敵打の話」より 著者:芥川竜之介
からかれこれ二年間、敵《かたき》兵衛《ひょうえ》の行《ゆ》く方《え》を探って、五
畿内《ごきない》から東海道をほとんど隈《くま》なく遍歴した。が、兵衛の消息は、杳....
「恩讐の彼方に」より 著者:菊池寛
り、石を運んで修繕した。道の崩れたのを見れば、土砂を運び来って繕うた。かくして、
畿内から、中国を通して、ひたすら善根を積むことに腐心したが、身に重なれる罪は、空....
「日本山岳景の特色」より 著者:小島烏水
のである、日本が火山国と言っても、火山が排列しているところはやはり決まっている、
畿内や山陽道や四国(或部分を除けば)などは、火山岩の噴出はあっても、火山として目....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
ったのが、元禄三年の秋で、故郷の松江を出てから八年目、彼は三十の年を迎えていた。
畿内から中国、九州と探し歩いたそれからの三年間にも、彼は敵に巡り合わなかった。江....
「姉川合戦」より 著者:菊池寛
云った。長政の忠臣遠藤喜右衛門、赤尾|美作などは、信長も昔の信長とは違う、今では
畿内五州、美濃、尾張、三河、伊勢等十二ヶ国の領主である。以前の信長のように、そん....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
と思っていたのだ。既に秀吉は自ら京に留り、山崎宝寺に築城して居住し、宮廷に近づき
畿内の諸大名と昵懇になり、政治に力を注いだから、天下の衆望は自ら一身に集って来た....
「山崎合戦」より 著者:菊池寛
、グズグズしてなかなかやって来なかった。 秀吉や柴田が、グズグズしている裡に、
畿内を経営して、根拠を築き、毛利と誼を通じて秀吉を挾撃して、之を倒せば天下の勢い....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
一括した正行は、今や北朝にとっては一大敵国をなして居るわけだ。 正平二年七月、
畿内の官軍は本営を河内東条に移し、菊水の旗の本に近畿の味方を招集し始めた。即ち北....
「形」より 著者:菊池寛
形 菊池寛 摂津半国の主であった松山新介の侍大将中村新兵衛は、五
畿内中国に聞こえた大豪の士であった。 そのころ、
畿内を分領していた筒井、松永、....
「菜の花物語」より 著者:児玉花外
大和めぐりとは
畿内では名高い名所|廻りなのだ。吉野の花の盛りの頃を人は説くが、私は黄な菜の花が....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
とて親も退かず、死ぬるが上を乗り越え乗り越え、死生知らずに戦ふ。御方の兵と申すは
畿内近国の駆武者なれば、親手負はば其れに事づけて一門引連れて子は退く。主討たるれ....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
の類似は、けだし偶然の暗合と解するを至当とする。もともとヤマトなる地名は、ただに
畿内の大和と、この邪馬台国なる筑後の山門郡地方とのみならず、肥後にも古く同名の郷....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
、親も退かず、死ぬるが上を乗り越え乗り越え、死生知らずに戦ふ。御方の兵と申すは、
畿内近国の武者なれば、親手負はばそれに事づけて、一門引き連れて子は退く。主討たる....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
だ多い。 現在部落民として認められるものは、普通民との数の比較の上から云えば、
畿内地方から、兵庫・和歌山・三重・滋賀等、
畿内の付近地方が最も濃厚で、岡山・広島....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
とは、「浄行僧」あるいは「清行僧」という語のあったことで、早く慶雲二年六月に「京
畿内の浄行僧九人を選び山房に住せしむと『続日本紀』にある。ただに後の学侶・聖等の....