疎略[語句情報] » 疎略

「疎略〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

疎略の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ます。主家の盗賊を仕留め、あわせて自分の親のかたきを討ったのですから、辻番所でも疎略には取り扱いません。それはお手柄でござったと云うので、湯などを飲ませてくれる....
籠釣瓶」より 著者:岡本綺堂
はし》という若い美しい遊女であった。八橋は彼を好ましい客とも思わなかったが、別に疎略にも扱わなかった。彼はひととおりに遊んで無事に帰った。 江戸のよし原のいわ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
たいしん》で、その用人の石田源右衛門が自身に出向いて来たのであるから、河内屋でも疎略には扱わず、すぐ奥の座敷へ通させて、主人の重兵衛が挨拶に出ると、源右衛門は声....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
異議なく承知して、寺男を表へ出してやった。 吉五郎らの身許を知ったので、寺でも疎略《そりゃく》には扱わなかった。住職もやがて奥から出て来た。彼は納所らに指図し....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
戸の慈作寺をたずねた。小栗の屋敷の用人から頼まれて来たことを打ち明けると、寺でも疎略には扱わなかった。それは御苦労でござると早速に奥へ通して、茶菓などをすすめた....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
ている。その人品も卑しくない。まず相当の旗本の主人であろうと推量して、喜右衛門も疎略には扱わなかった。かれはこの主従に茶を出して、それから奥へはいって一つの鶉籠....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
きに半七の世話になったこともあるので、かれは今夜久しぶりで出逢った親分と子分を、疎略には扱わなかった。近所の料理屋へ案内して、三五郎はなつかしそうに話し出した。....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
取りの若殿を生んでいるので、妾とはいえ当主の生母である以上、屋敷の方でも、かれを疎略に扱うことは出来なかった。かれは下屋敷に移されて何不足なく暮らしていた。 ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いっても、これは自分の娘の命を救ってくれた恩人であるから、伝兵衛主従も決して彼を疎略には扱わなかった。 その晩は小山の宿に泊まったが、旅籠賃その他はすべて伝兵....
去年」より 著者:伊藤左千夫
う親のいとしみをこめた情がひびいた。口々に邪慳に言われても、手ですることには何の疎略はなかった。 「今に見ろ、このやっかい者に親も姉妹も使い回されるのだ」 「そ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の白い、髯のあとの青い人であった。客の一人は侍、一人は御用聞きというので、住職も疎略に扱わなかった。 ここへ来る途中で、二人は十分に打合わせをしてあるので、お....
阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
何ほどかの附届けをしろと言った。それから村の人も彼に対してたちまち顔付を改めた。疎略なことはするわけもないがかえってはなはだ遠ざかる気分があった。この気分は前に....
馬妖記」より 著者:岡本綺堂
の戦いが始まって、秀秋は裏切り者として名高くなったが、その功によって徳川家からは疎略にあつかわれず、筑前から更に中国に移封して、備前美作五十万石の太守となった。....
平家蟹」より 著者:岡本綺堂
ましょうか。 与五郎 共々にお越し下さらば、それがしに取っても義理の姉上、決して疎略には存じ申さぬ。玉琴が切なる願い、なにとぞ勘当をゆるされて、われわれと共に本....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
で、師直は機嫌を損じた。将軍家のおん大事、惹いては我が家の大事を、おのれは何ゆえ疎略に存ずるかと、彼は眼の色を変えて我が子に食ってかかった。師冬も初めは好い加減....