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「病牀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

病牀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
思い出す事など」より 著者:夏目漱石
ければならなくなったので、教授の死ぬ日まで教授の書を再び手に取る機会はなかった。病牀《びょうしょう》にありながら、三たび教授の多元的宇宙を取り上げたのは、教授が....
阿宝」より 著者:田中貢太郎
そのことを伝え聞いてますます駭くと共に、陰にその情の深いのに感じた。 孫は既に病牀を離れたが、阿宝のことが忘れられないので、時とするとものを忘れた人のようにな....
死後」より 著者:正岡子規
ぎて秋も半を越した頃であったが或日非常な心細い感じがして何だか呼吸がせまるようで病牀で独り煩悶していた。此時は自己の死を主観的に感じたので、あまり遠からん内に自....
渋江抽斎」より 著者:森鴎外
次第に険悪になるばかりであった。 多紀|安琢、同元佶、伊沢柏軒、山田|椿庭らが病牀に侍して治療の手段を尽したが、功を奏せなかった。椿庭、名は業広、通称は昌栄で....
連句雑俎」より 著者:寺田寅彦
いてはおそらく倦怠《けんたい》を招くに相違ない。 次に「連作論」に引用された「病牀即事《びょうしょうそくじ》」を詠じた十首は、もう少し複雑になっている。「月」....
源氏物語」より 著者:紫式部
ることでしょうが」 と言った。もう外は暗くなっていた。ほのかな灯影《ほかげ》が病牀《びょうしょう》の几帳《きちょう》をとおしてさしていたから、あるいは見えるこ....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
士やも空しかるべき万代に語り継ぐべき名は立てずして」というのであった。憶良の歌は病牀にあって歎いたものだが、家持のは、父祖の功績をおもい現在自分の身上を顧みての....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
俳病の夢みなるらんほとゝぎす拷問などに誰がかけたか 即ち居士の日課の短文――『病牀六尺』――はこれで終末を告げている。そうして居士は越えて一日、九月十九日の午....
二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
すべきものであった。 明治四十年の六月、突然|急痾に犯されて殆んど七十余日間|病牀の人となった。それから以後著るしく健康を損じて、平生|健啖であったのが俄に食....
志士と経済」より 著者:服部之総
にも幕権にもあえて屈しようとせぬ面魂が、そもそも物をいっているのである。 妻は病牀に臥《ふ》し児は飢《うえ》に号《な》くと詠《うた》った梅田雲浜《うめだうんぴ....
くだもの」より 著者:正岡子規
植物学の上より見たるくだものでもなく、産物学の上より見たるくだものでもなく、ただ病牀で食うて見たくだものの味のよしあしをいうのである。間違うておる処は病人の舌の....
ランプの影」より 著者:正岡子規
、四日の日子《にっし》を余して居るにもかかわらず、新聞へ投書になった新年の俳句を病牀で整理して居る。読む、点をつける、それぞれの題の下に分けて書く、草稿へ棒を引....
徒歩旅行を読む」より 著者:正岡子規
い位であると思う。 去年この紀行が『二六新報』に出た時は炎天の候であって、余は病牀にあって病気と暑さとの夾《はさ》み撃ちに遇うてただ煩悶を極めて居る時であった....
病牀苦語」より 著者:正岡子規
は、それさえも憎むと見えて、朝々一番鶏二番鶏とうたい出す彼の声は、夜もねられずに病牀に煩悶して居る予の頭をいよいよ攪乱するので、遂に四、五人の人夫の手をかけて、....
三国志」より 著者:吉川英治
」 次の間へさがると、彼はやがて器に熱い煎薬を捧げてきて、曹操の横たわっている病牀の下にひざまずいた。 「丞相。お服みください」 「……薬か」 片肱をついて....