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痛哭
「痛哭〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
痛哭の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
多し。適々高煦、華衆等を率いて至り、追兵を撃退して去る。 燕王張玉の死を聞きて
痛哭し、諸将と語るごとに、東昌の事に及べば、曰く、張玉を失うより、吾今に至って寝....
「李陵」より 著者:中島敦
遇されていたとは称しがたいのである。それを知ってのうえで、今目の前に蘇武の純粋な
痛哭《つうこく》を見ているうちに、以前にはただ蘇武の強烈な意地とのみ見えたものの....
「雪の宿り」より 著者:神西清
顛末を深夜のことゆえお取次を以て言上いたしましたところ、太閤にはお声をあげて御|
痛哭あそばしました由、それを伺ってわたくしはしんから身を切られる思いを致したこと....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
いおうとも、これだけは彼の体から剥ぎ取れない。彼のために彼を笑ってやれ。その笑が
痛哭であろうとも、自嘲であろうとも、解除であろうとも、それはどうでも好い。ただ大....
「学問のすすめ」より 著者:福沢諭吉
、その精神の日に衰うるを傍観してこれを患うる者なきは、実に長大息すべきなり、また
痛哭《つうこく》すべきなり。 ひとりわが慶応義塾の社中はわずかにこの災難を免れ....
「三国志」より 著者:吉川英治
と、盧植は、身の不幸を悲しむよりも、さすがに、より以上、上下乱脈の世相の果てを、
痛哭するのであった。 慰めようにも慰めることばもなく、鉄格子をへだてた盧植の手....
「三国志」より 著者:吉川英治
「もしお援け下さらねば、関将軍は麦城に亡びますぞ。見殺しになさる気か」 と、
痛哭した。 「――一杯ノ水、安ンゾ能ク薪車ノ火ヲ救ワン」 劉封はそう云い捨てて....
「三国志」より 著者:吉川英治
また早馬が殺到し、街亭の敗れ、列柳城の喪失をつづいて告げた。 孔明は天を仰いで
痛哭した。 「――大事去れり矣。ああ、大事去る」 と、そして、一言、 「わが過....