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痛惜
「痛惜〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
痛惜の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
二月十二日 ◯小栗虫太郎二月九日夕六時脳溢血にて倒れ翌十日午前九時死去す、断腸
痛惜の至りなり、花を咲かす一歩手前にて、巨星の急逝は痛恨の次第なり。 雪折れ....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
あったから、ために竟《つい》に禍を買って、その終を全うすることの出来なかったのは
痛惜すべきことである。 しかし、彼にもまた巧妙穏和なる間接立法の例がないではな....
「広場」より 著者:宮本百合子
歌やよろこびの光景は、ここへ来て十ヵ月ほど経ったとき東京で自殺した弟の保の面影を
痛惜をもってまざまざと甦えらしたのであった。それに連関して朝子の心には声なき絶叫....
「同志小林の業績の評価によせて」より 著者:宮本百合子
いう動かすべからざる必然性を会得していない。 同志小林多喜二が、宮島氏等をして
痛惜せしめる程傑出したプロレタリア作家であり得たのは、同志小林が宮島氏らによって....
「武田麟太郎追悼」より 著者:織田作之助
突如として失ってしまった、私はもう言うべきことを知らない。私としても非常に残念で
痛惜やる方ないが、文壇としても残念であろう。しかし最も残念なのは、武田さんの無二....
「美の日本的源泉」より 著者:高村光太郎
救世観世音像に至っては、限りなき太子讃仰の念と、太子|薨去に対する万感をこめての
痛惜やる方ない悲憤の余り、造顕せられた御像と拝察せられ、他の諸仏像とは全く違った....
「小山内薫先生劇場葬公文」より 著者:久保栄
のもとに専心演劇研究に精進しつつあったわれわれは、このにわかの悲しみに遭って哀悼
痛惜の念に耐えません。 われわれ築地小劇場員は、今日先生の御遺骸をわれわれの戦....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
儀式を飾る金冠|繍服の行列こそ見えなかったが、皆故人を尊敬し感嘆して心から慟哭し
痛惜する友人門生のみであった。初夏の夕映の照り輝ける中に門生が誠意を籠めて捧げた....
「三国志」より 著者:吉川英治
五十八歳で世を去ったか。……彼も功臣のひとりだったが」 死んでみると、曹操は、
痛惜にたえないように呟いて、盛んな葬祭をとり行った。 で、魏王に即く問題は、し....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、楠木|帯刀正行はどうかの?」 親房の心にはいつも子の顕家の死があった。親心の
痛惜と、親ながらその子を鑑ともつねに言っているほどな子自慢のほこりがあった。 ....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
欲はさかんらしい。――だのに赤穂義士に十倍する人命の歴史遺跡にたいしては、理解も
痛惜もまったく薄い風である。お寺さんの観光便乗もよいが、寺自体その歴史特徴をよく....
「随筆 新平家」より 著者:吉川英治
んてものはくだらなく思えるのかしら。ぼく自身が「新・平家」を書くにあたって不便と
痛惜を感じるのでいうわけではないが、戦時戦後のあの生々しい庶民生態は、重要なきの....