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癸
「癸〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
癸の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
ません、小児《あかんぼ》の屎《うんこ》を流したんだって」 乙「へーそうですか」
癸「なに、そうじゃありません、湯の中でお産をしたんだそうです」 などといろ/\....
「国語音韻の変遷」より 著者:橋本進吉
では、 岐支伎妓吉棄枳弃企祇………(甲) 紀記己忌帰幾機基奇綺騎寄貴
癸………(乙) などの文字を用いているが、当時は岐支等の類(甲)と紀記等の類(乙....
「中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
聞いていたが、わたしも見るのは今が始めで、これが手に入れば、もう占めたものだ」(
癸辛雑識続集) 報寃蛇 南粤の習いとして蠱毒呪詛をたっとび、それに因って....
「鉄面皮」より 著者:太宰治
、消さずにそのまま残して置こう。 右大臣実朝。 承元二年|戊辰。二月小。三日、
癸卯、晴、鶴岳宮の御神楽例の如し、将軍家御|疱瘡に依りて御出無し、前大膳大夫広元....
「現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
尤もその概念規定などは何でもいいので要するに国家という字が大切なのだが)早大の林
癸未夫教授が、私有財産制の否定者であるとして某代議士から議会の問題にされたことだ....
「死体の匂い」より 著者:田中貢太郎
した。私は東湖のことから新井白石を連想した。「折たく柴の記」によると、白石は元禄
癸未の年十一月二十二日の夜大地震に逢ったので藩邸へ伺候した。白石はそのころ湯島に....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
聞けば昔京師の伶人、富士と浅間というものが、喧嘩をしたということだが、今は天保|
癸未ここ一年か半年のうちには、どうでも敵を討たなければならぬ」 いよいよ復讐の....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
いいほど無感情、実にアッサリしたものですよ。ザッと次の通りです。 「飛鳥天皇御世
癸卯年十月十四日、蘇我|豊浦毛人大臣ノ児、入鹿臣□□林太郎、伊加留加宮ニ於テ山代....
「上野」より 著者:永井荷風
旧時ノ風致全ク索《ツ》ク矣。」と言っている。雅談の成った年は其序によって按ずれば
癸未暮春明治十六年である。また巻尾につけられた依田学海の跋を見れば明治十九年二月....
「葛飾土産」より 著者:永井荷風
知るにはかえって迷うおそれがなかった。しかしこれら市中の溝渠は大かた大正十二年|
癸亥《きがい》の震災前後、街衢《がいく》の改造されるにつれて、あるいは埋められ、....
「十日の菊」より 著者:永井荷風
したる梔子|燃《もゆ》るが如く、人の来って摘むのを待っている……。 大正十二年|
癸亥《きがい》十一月稿....
「すみだ川」より 著者:永井荷風
にしえの名所を弔《とむら》う最後の中《うち》の最後の声たらしめよ。 大正二|
癸丑《みずのとうし》の年春三月小説『すみだ川』幸《さいわい》に第五版を発行すると....
「古事記」より 著者:太安万侶
になつて、三十七年天下をお治めなさいました。戊子《つちのえね》の年の三月十五日|
癸丑《みずのとうし》の日にお隱れなさいました。御陵は初めは大野の岡の上にありまし....