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発企
「発企〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
発企の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ゼーロン」より 著者:牧野信一
ンズにさえなっていれば沼の底へ保存さるるも厭《いと》わぬと云っていたが、友人達の
発企でかく保存さることとなり、希望者の観覧には随時提供されている。一九二九年度の....
「婦系図」より 著者:泉鏡花
その縁談の事の為ではないが、同じこの十二日の夜、道学者坂田礼之進は、渠が、主なる
発企者で且つ幹事である処の、男女交際会――またの名、家族懇話会――委しく註するま....
「二つの庭」より 著者:宮本百合子
ら、その教授の翻訳を手つだうという仕組であった。休暇も終りに近づいたとき、教授の
発企で、みんなが大島の三原山へピクニックに出かけた。素子も当然その一行に加わって....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
今では大分前になるが東京警察後援会というものが出来上ったのである。確か原嘉道氏が
発企人の筆頭で、私などにも加盟を求められた事があったかと記憶するのであるが、その....
「往復帖」より 著者:宮本百合子
選のこと 来る六月十三日の会合で、多分役員改選が議題にのぼるでしょう 今まで
発企人のいすわり常任幹事でしたが幹事全体と地区の代表のような人でセンコウ委員を選....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
期して――後代の佳例に残るかどうかは知らないが、ともかくもやってみたいというのが
発企者《ほっきしゃ》の意見で、それに輪をかけたのが賛成人と市中村々の人民とであり....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
で終って、いよいよ七十一歳となった頃、かつて寄宿舎に居た、勝田主計氏和田昌訓氏が
発企して多くは旧寄宿生であった人々と、それに同郷の先輩数人を加えて、醵出された金....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
が、マアいいわ。石炭が不足で大変こまる冬が来るというので、七十二歳のおじいさんが
発企で外套ナシのデモンストレーションがはじまったのですって。特にこの冬は外套なし....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
のことに対する真に文化的な助言をし批評をするところということになったそうです。(
発企人会へは出ませんでした)
吉屋、山川というような人たちが熱心というの面白い....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
田侯爵の後園《こうえん》にして、四時の眺《なが》め尽せぬ日本三公園の一なり。宴の
発企《ほっき》者は岡山屈指の富豪野崎氏その他知名の諸氏にしてわれわれおよび父母親....
「株式仲買店々員」より 著者:ドイルアーサー・コナン
だったからですが、しかし公にしたほうがいいんです。――私の兄弟のハリー・ピナーは
発企人なんですが、選挙の結果、専務取締として評議員に加わっています。彼は私がこち....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
った。明治十九年には朝野の顕官名士を賛成者として、“演劇改良会”なるものがすでに
発企されていた。その宣言は頗る堂々たるものであった。爾来、その運動がますます盛ん....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
貌技芸共にすぐれ、前途多望と称せられたる女形なり。 ○七月十六日、東京府民有志の
発企にて、来朝中の米国前大統領グラント氏を新富座に招待し、新作の史劇「後三年奥州....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
には、智善さんは明治四十年頃に、宮本武蔵の碑をこの村の武蔵の生れた屋敷跡に建てた
発企者の一名で、その頃、細川護成氏や県知事などの協力を得るために、だいぶ武蔵の事....