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白河楽翁
「白河楽翁〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
白河楽翁の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鴎外・芥川・菊池の歴史小説」より 著者:宮本百合子
高瀬舟」はずっと後代の物語であり、一方は武士社会のことであり、これは姓も持たない
白河楽翁時代の江戸の一窮民の運命である。鴎外が、当時の江戸の庶民生活のありようの....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、宗門《しゅうもん》の掟《おきて》なのでございましたそうです。それを近頃になって
白河楽翁《しらかわらくおう》さんというお大名が、それではあんまり酷《ひど》い、と....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
せん、その点彼の現実の順応性が実によく出ている。
このことは逆に「高瀬舟」で、
白河楽翁時代の江戸の一窮民の遠島されるときの物語にある財産の観念及ユウタナジイの....
「十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
ったが、その消極的政策と緊縮、節約主義とによって、浮世を暮らしにくく窮屈にした、
白河楽翁|事松平越中守を「女の老中」と喝破したあたりは、彼でなければ出来なかった....
「高瀬舟」より 著者:森鴎外
―――――――――――――――― いつのころであったか。たぶん江戸で
白河楽翁侯が政柄を執っていた寛政のころででもあっただろう。智恩院の桜が入相の鐘に....
「江戸芸術論」より 著者:永井荷風
時既に狂詩と共に狂歌の吟咏ありしや明かなり。安永より天明《てんめい》末年あたかも
白河楽翁公《しらかわらくおうこう》の幕政改革の当時に至るまでおよそ二十年間は蜀山....
「日和下駄」より 著者:永井荷風
轄《しょかつ》となり名高き庭苑も追々に踏み荒されて行く。鉄砲洲《てっぽうず》なる
白河楽翁公《しらかわらくおうこう》が御下屋敷《おしもやしき》の浴恩園《よくおんえ....
「加波山」より 著者:服部之総
ならぬそのブルジョア的な側面による致富にあった。その時代は、この祖父の室リキ子が
白河楽翁《しらかわらくおう》侯の養母|清照院《せいしょういん》の侍女であったこと....
「木綿以前の事」より 著者:柳田国男
でも食いたい時に製して食えるように、小鍋とか火鉢とかいうものが普及したのである。
白河楽翁の『女教訓書』を見ると、まだあの頃までは小鍋好みは悪徳であった。留守ごと....