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「白馬会〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

白馬会の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
千曲川のスケッチ」より 著者:島崎藤村
られ、余暇には小諸義塾の生徒をも教えに通われた。同君の画業は小諸時代に大に進み、白馬会の展覧会に出した「朝」の図なぞも懐古園附近の松林を描いたもののように覚えて....
婦人と文学」より 著者:宮本百合子
他の人々があつまったことも、明治二十九年の日本で初めての光彩ある前期印象派の団体白馬会の生れたことと照しあわせて興味ふかい。 この『明星』は、『文学界』の最終....
めでたき風景」より 著者:小出楢重
勿論、現代では何がな横文字の看板ばかりあさって歩く風潮もあるにはあるが。 私が白馬会へ最初通い出した時分は何がな、風景でも、何によらず、物体の影という影は光線....
油絵新技法」より 著者:小出楢重
てグングンと進んで行くのがよい方法である。 それは、私自身の経験に見ても、昔、白馬会の研究所でおよそ一ケ年と、美校の二年間のデッサン生活において、先生の指導も....
イタリア人」より 著者:寺田寅彦
らぬ目的物を遠い霞の奥に望んで、それをつかまえよう/\としていた。小説を読んだり白馬会を見に行ったりまた音楽会を聞きに行ったりしているうちには求めている物に近づ....
昭和二年の二科会と美術院」より 著者:寺田寅彦
湯浅氏の回顧陳列もある意味で日本洋画界の歴史の側面を示すものである。これを見ると白馬会時代からの洋画界のおさらえができるような気がする。ただこの人の昔の絵と今の....
帝展を見ざるの記」より 著者:寺田寅彦
うなものを作家とともに認めてささやき合うような気がする。 明るく鮮やかであった白馬会時代を回想してみると、近年の洋画界の一面に妙に陰惨などす黒いしかもその中に....
美術学校時代」より 著者:高村光太郎
など、実に滑稽であった。 その頃黒田さんなどが新しい西洋画を描く機運をつくり、白馬会が名乗りをあげたり、一方では太平洋画会などが人気があった。白馬会は当時既に....
ヒウザン会とパンの会」より 著者:高村光太郎
私が永年の欧洲留学を終えて帰朝したのは、たしか一九一〇年であった。 当時、わが洋画界は白馬会の全盛時代であって、白馬会に非ざるものは人に非ずの概があった。しかし、旧套....
芝、麻布」より 著者:小山内薫
て武林繁雄(無想庵)や私なども、よくその会へ出た。 竜土軒の最初の発見者は、旧白馬会の人達ではなかったかと思う。和田英作氏や岡田三郎助などが早い顧客であったこ....
新古細句銀座通」より 著者:岸田劉生
っているところが実に真に迫ってかけているのが懸かっていたが、もうその時分には私も白馬会へ洋画の稽古に行きはじめていて、この絵にひどく感心し、折にふれては見に行き....