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百戦
「百戦〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
百戦の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「単独行」より 著者:加藤文太郎
2 今、AとBの二人が、ある氷と岩との殿堂を攀じていると想像し給え。Aは
百戦功を経たエクスパートであり、Bは初めて氷にアックスを揮うビギナーである。 ....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
るが、不意に出られた武田勢は、最初から精神的な一撃を受けたのである。 さすがに
百戦練磨の信玄は少しもおどろかず、浦野民部に敵情をさぐらせたところ、「謙信味方の....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
つて富強の術を行ひ耕戦を事とし兵財共に豊なりしに、信長其業をつぎ、英雄の士を得て
百戦の功をたつ。其国四通の地にして、京師に近く且つ足利殿数十代の余光をかりて起ら....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
島健彦等が熊本隊を率いて官軍を急撃した事もあるが、大勢は既に決したのである。 |
百戦無効半歳間 |首邱幸得 |笑儂向 尽日洞中棋響閑 岩崎谷の洞壁に書き終って....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
の王戦車の馬の厩四千と騎兵一万二千を有《もて》りとあるので分る、またいわく王千四
百戦車一万二千騎卒ありと、その後諸王馬を殖やす事盛んで予言者輩これを誚《そし》っ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
、すっかり有卦《うけ》に入って、天下の福の神に見込まれた、この分じゃ明日の合戦も
百戦百勝疑いなしと、むやみに勇み立ちました。 十四 米友は、....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
しゅがい》が晋鄙を殺し、劉長が審食其《しんいき》を殺した事あり。北欧の雷神トール
百戦百勝するに三の兵宝あり。まず山を撃たば火が出る大槌、名はムジョルニルで、トー....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
老後の安心を与えることが出来る。 支那の有名なる兵書に、 「彼を知り己を知るは
百戦して危からず」 という句があります。我々小売商が大百貨店を向こうにまわして....
「議会見物」より 著者:佐藤垢石
田に答えたのが、島田俊雄だ。この人間の態度と答弁が、最も要領を得ていると思った。
百戦錬磨の功がある。米価は今後決して引き上げないと、きっぱりいってのけた。ほかの....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
を憐《あわれ》まざる者なし。事の実際をいえば弱宋《じゃくそう》の大事すでに去り、
百戦|必敗《ひっぱい》は固《もと》より疑うべきにあらず、むしろ恥《はじ》を忍《し....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
なる哉 誰か知らん一滴黄金水 翻つて全州に向つて毒を流し来る 里見義実
百戦孤城力支へず 飄零|何れの処か生涯を寄せん 連城且擁す三州の地 一旅俄に開く....
「ノンシャラン道中記」より 著者:久生十蘭
一挙にして三千五百法ですナ、どうです、負ければ引っ込ます。勝てば支払わせる。……
百戦百勝、絶対に負けなし、というのがこの術です。アランベエル君出直して来い! で....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
は弟泉三郎忠衡が、義経に同意しておったという理由でこれをも殺したほどで、とうてい
百戦錬磨の鎌倉武士の敵ではなかった。八月九日、阿津賀志山の守りがまず破れ、二十一....
「三国志」より 著者:吉川英治
すると、太守|韓馥が、 「さわぎ給うな。われに一人の勇将あり。いまだかつて、
百戦におくれをとったことを知らない潘鳳という者である。彼なれば、たやすく華雄を打....
「三国志」より 著者:吉川英治
なたご自身の慾望に過ぎなかったということになりましょう。弱冠、生死の迷妄を捨て、
百戦苦闘、今日を築いてきながら、その精神と節操を、門の飾りや往来の見得などと取替....