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「百部〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

百部の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十円札」より 著者:芥川竜之介
二にある出版|書肆《しょし》は今しがた受取った手紙の中に一冊五十銭の彼の著書の五百部の印税を封入してよこした。第三に――最も意外だったのはこの事件である。第三に....
喝采」より 著者:太宰治
んで、小説の原稿もらい、地方に於ては堂々の文芸雑誌、表紙三度刷、百頁近きもの、六百部刷って創刊号、三十部くらい売れたであろうか。もすこし売りたく、二号には吉屋信....
青春の逆説」より 著者:織田作之助
やらされたが、八頁のものを折目を正しくつけて小さく畳むのには、かなり力が要った。百部も畳まぬうちに掌の皮が擦りむけた。豹一は窓側に置いてある牛乳の瓶に眼をつけて....
雪中富士登山記」より 著者:小島烏水
冬が来たのだ。その冬の先駆なる高嶺の雪! 自然は富士山という一つの題材を、幾十百部に切り刻んで、相模野からかけて、武蔵野辺に住む人たちに朝となく、夕となく、種....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
の装幀までが、彼には好ましく思われた。『静の岩屋』、『西籍概論』の筆記録から、三百部を限りとして絶版になった『毀誉相半ばする書』のような気吹の舎の深い消息までも....
灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
んで大発明をし、大文章を書き、大建築を作る人があったかも知れない。書籍は少くも五百部千部を印刷するゆえ、一冊や二冊焼けても夫程惜しくないと云う人があるかも知れぬ....
死者の書」より 著者:折口信夫
あった。夜も、侍女たちを寝静まらしてから、油火の下で、一心不乱に書き写して居た。百部は、夙くに写し果した。その後は、千部手写の発願をした。冬は春になり、夏山と繁....
勧善懲悪」より 著者:織田作之助
方をすると、瞬く間に版を重ねて、十六版も出たという。お前は知るまいが、初版は千五百部で以後五百部ずつ版を重ねたのだ。 「――なぜ、こんな本が売れるのでしょう?」....
泡盛物語」より 著者:佐藤垢石
会へ流れて行ったのである。そこで、地方新聞の配達をはじめた。しかし、百五十部か二百部の小新聞を購買し、これを配達していたのでは、到底七人の家族を支えきれるもので....
瘠我慢の説」より 著者:木村芥舟
出板の手続きより一切費用の事まで引受られ、日ならずして予が望のごとく美なる冊子数百部を調製せしめて予に贈られたり。 同二十四年十月、予また幕末の編年史を作り、....
馬琴の小説とその当時の実社会」より 著者:幸田露伴
あります。かくの如き馬琴が書きましたるところの著述は、些細なものまでを勘定すれば百部百部ではきかぬのでありますが、その中で髄脳であり延髄であり脊髄であるところ....
子規居士と余」より 著者:高浜虚子
、その他一、二あったばかりで競争者が少なかったのにも原因するであろうが、初版千五百部が瞬く間に売切れて五百部再版したことはちょっと目ざましいことであった。第二号....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
拝啓 雑誌五十二銭とは驚いた。今まで雑誌で五十二銭のはありませんね。それで五千五百部売れたら日本の経済も大分進歩したものと見てこれから続々五十二銭を出したらよか....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
。 私はインド雪山の尼波羅国に行きまして梵本の一切経を買い集め随分苦労をして七百部ばかり得た、今では梵本は日本が一番多くを所持している。それまでに満洲のお経を....
色盲検査表の話」より 著者:石原忍
ました半田屋書店に頼みまして、印刷部数の一割を無償で著者に提供するという条件で六百部印刷をしてその六十部をもらい受け、更に三十部自弁して合せて九十部を世界各国の....