百里[語句情報] » 百里

「百里〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

百里の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
犬と笛」より 著者:芥川竜之介
黒犬を呼び出しながら、 「この犬の名は飛べと言って、誰でも背中へ乗ってさえすれば百里でも千里でも、空を飛んで行くことが出来る。明日《あした》はまた己の弟が、何か....
首が落ちた話」より 著者:芥川竜之介
、――しかしそれは勿論もう出来ないのに相違ない。こことあの足を見た所との間は、何百里と云う道程《みちのり》がある。そう思っている中に、足は見る見る透明になって、....
」より 著者:芥川竜之介
るのが、その時|朧《おぼろ》げに見えたからであろう。…… この話は、たちまち幾百里の山河《さんが》を隔てた、京畿《けいき》の地まで喧伝《けんでん》された。それ....
侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
わず》かに我我と一歩を隔てたもののことである。只《ただ》この一歩を理解する為には百里の半ばを九十九里とする超数学を知らなければならぬ。 又 天才とは....
浜菊」より 著者:伊藤左千夫
の地位に居ると聞いてる。こんな調子で土地の者とも交際して居るのかしらなど考える。百里遠来同好の友を訪ねて、早く退屈を感じたる予は、余りの手持無沙汰に、袂《たもと....
海異記」より 著者:泉鏡花
らとしただがね、それで止まるような波じゃねえだ。どんぶりこッこ、すっこッこ、陸へ百里やら五十里やら、方角も何も分らねえ。」 女房は打頷いた襟さみしく、乳の張る....
春の潮」より 著者:伊藤左千夫
無理じゃねいか、まして男女間の事は親の威光でも強いられないものと、神代の昔から、百里隔てて立ち話のできる今日でも変らぬ自然の掟だ」 「なによ、それが淫奔事でなけ....
春昼」より 著者:泉鏡花
ためには平等利益、楽く美しい、花園である。一度|詣でたらんほどのものは、五十里、百里、三百里、筑紫の海の果からでも、思いさえ浮んだら、束の間に此処に来て、虚空に....
天守物語」より 著者:泉鏡花
すまいし。 夫人 憎らしい口だ。よく、それで、猪苗代から、この姫路まで――道中五百里はあろうねえ、……お年寄。 舌長姥 御意にござります。……海も山もさしわたし....
南地心中」より 著者:泉鏡花
傘を傾けて、熟と池の面を見入っている。 初阪は、不思議な物語に伝える類の、同じ百里の旅人である。天満の橋を渡る時、ふとどこともなく立顕れた、世にも凄いまで美し....
多神教」より 著者:泉鏡花
れた身を、鏝塗上塗に汚しおる。あまつさえ、身のほどを弁えずして、百四、五十里、二百里近く離れたままで人を咒詛う。 仕丁 その、その俳優は、今大阪で、名は何と言う....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
から落ちながらさえ、魚は生命を保つ。そうしてこの水音をしたって、路の向うから千里百里の思をして、砂を分けて来たのであろう。それまでにして魚さえ活きる。……ここは....
註文帳」より 著者:泉鏡花
もの、おまけに目もあてられない吹雪と来て、酔覚じゃあり、寒さは寒し、四ツ谷までは百里ばかりもあるように思ったねえ。そうすると何だかまた夢のような心持になってさ。....
卵塔場の天女」より 著者:泉鏡花
が、寺で葬るのに墓を穿った時よ。私が立合うて、思うには、祖父祖母、親子姉妹、海山百里百里と、ちりちりばらばらになったのが、一つ土に溶け合うのに、瀬戸ものの欠が....
西航日録」より 著者:井上円了
および山名、西尾等の諸氏に会す。 二十一日未明、門司解纜。海上風波あり。西航五百里、シャンハイ河口なる呉淞に達せしは二十二日夜半なり。翌朝八時小汽船に駕し、黄....