皇后[語句情報] »
皇后
「皇后〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
皇后の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
ともあるべきお人が、それほどのことを御存じないか。そのむかしの光明《こうみょう》
皇后、衣通《そとおり》姫、これらの尊き人びとを、お身は人間にあらずと見らるるか。....
「茶の本」より 著者:岡倉覚三
夢と混ずるように、舟中に眠ったと伝えられている。この精神こそは奈良朝で有名な光明
皇后のみ心を動かしたものであって、「折りつればたぶさにけがるたてながら三世の仏に....
「人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
定。 とこんな記事が、ロンドン中の新聞を賑わしたのが、十日ほどまえのこと。英帝
皇后ご同列の米大州ご訪問や、アラビアオーマン国の王子ご新婚などに併せ……ともあれ....
「燕と王子」より 著者:有島武郎
へんやさしい王子であったのが、まだ年のわかいうちに病気でなくなられたので、王様と
皇后がたいそう悲しまれて青銅の上に金の延べ板をかぶせてその立像を造り記念のために....
「世界怪談名作集」より 著者:岡本綺堂
は言った。「わたしはちっとも知らなかった。私たちは一緒に女官に任命されて、一緒に
皇后さまの御前に伺候したのに……」 それからこの伯爵夫人は、彼女の孫息子にむか....
「倫敦の一夜」より 著者:岡本綺堂
我々はそのあとに付いて駈けてゆくと、露台には灯火が燦として輝いて、英国皇帝陛下も
皇后陛下もそこに正しく立ってられるのが夜目にも仰がれる。陛下からどう云う御会釈の....
「紅毛傾城」より 著者:小栗虫太郎
キーが、はるばるサガレンまで来たかということです。実は奥方様、あの男は、カタリナ
皇后から、アレウート号の船長に任命されて、このラショワ島にある黄金郷の探検を命ぜ....
「ガルスワーシーの家」より 著者:岡本かの子
ず行手に在る。其の黒く塗られた板塀について曲るとだらだら坂になり、丘の上のメリー
皇后の慈善産院の門前へ出た。此処で景子達は一寸立止まって足を休めた。それから鬱蒼....
「あゝ二十年」より 著者:上村松園
貴の御覧に入ったことと存じます。 この御下命を得ました当時は、皇太后陛下がまだ
皇后陛下でいらせられた際のことであり、考えてみますと、筆者の私としましても深い感....
「画道と女性」より 著者:上村松園
それをお受けしたのは昨年の九月頃であったろうか。最初の気持では、今の皇太后陛下が
皇后宮に居られた頃に御下命を承った雪月花三幅対の図がすでに小下図を差し上げて御内....
「画筆に生きる五十年」より 著者:上村松園
は四十二歳でありました。文展第十回展には、「月蝕の宵」を出品いたしました。当時、
皇后陛下で在らせられた皇太后様は、毎年文展に行啓あらせられ、殊のほか絵画に御興深....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
島堂というは一体何を祀ったもの乎祭神は不明である。彦少名命を祀るともいうし、神功
皇后と応神天皇とを合祀するともいうし、あるいは女体であるともいうが、左に右く紀州....
「私の仕事 松篁の仕事」より 著者:上村松園
二十年来の画債整理と、
皇后陛下よりの御用命に依り、双幅藤原時代美人数名の揮亳完成を期するために、今度は....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
全部出演し、わが劇界空前の名誉なりと喧伝せらる。第一日は聖上陛下の天覧、第二日は
皇后陛下の台覧、第三日は外国公使その他の招待、第四日は皇太后陛下の台覧あり。 ○....
「古事記」より 著者:太安万侶
方と結婚して、タギシミミの命・キスミミの命とお二方の御子がありました。しかし更に
皇后となさるべき孃子《おとめ》をお求めになつた時に、オホクメの命の申しますには、....