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「皇孫〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

皇孫の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
多かりしも、審査せぬうちに合祀のために絶滅せるもの多しという。有田郡なども南朝の皇孫が久しく拠りたまえる所々を合祀のために分からぬことと成り果たしたり。 また....
俊寛」より 著者:菊池寛
んだ。 が、有王はすべてをあさましいと考えた。村上天皇の第七子|具平親王六|世皇孫である俊寛が、南蛮の女と契るなどは、何事であろうと考えた。彼は、主が流人にな....
運命」より 著者:幸田露伴
やしけん、堪えかねて泣き萎れたもう。翰林学士の劉三吾、御歎はさることながら、既に皇孫のましませば何事か候うべき、儲君と仰せ出されんには、四海心を繋け奉らんに、然....
十二支考」より 著者:南方熊楠
《あらわ》したので猿田彦そこを見詰めて、眼毒が弱り和らぎ、鈿女打ち勝ちて彼をして皇孫の一行を避けて遠地に自竄《じざん》せしめたのだ。インドでハヌマン猴神よく邪視....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
が、取りも直さずわれわれの住む大地の神界で、ここに君臨遊ばすのが、申すまでもなく皇孫命様にあらせられます。ここになるとずっとわれわれとの距離奮発して霊界との交通....
朱絃舎浜子」より 著者:長谷川時雨
それからの新富座は、外賓接待には洩《も》らされない場処《ところ》となって、ドイツ皇孫ヘンリー親王の来朝の時から、我国の宮殿下方《みやでんかがた》もお揃《そろ》い....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
大和の大三輪の神奈備に鎮め、その御子神達をもそれぞれに大和各所の神奈備に鎮めて、皇孫尊の近き護りとなり給うたということは、その一族挙げて我が皇室の為に、護法神の....
手長と足長」より 著者:喜田貞吉
の長きを祝う詞に、往々この語を用いた。延喜式祈年祭・六月|月次祭などの祝詞に、「皇孫命の御世を手長の御寿と湯津磐村の如く、常磐に堅磐にいかし御世に幸はひ給ひ」な....
道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
野人かつて「道鏡皇胤論」一編を京大史学会の雑誌史林の誌上で発表した事があった。要は道鏡が天智天皇の皇孫であるとの旧説を祖述し、これによって道鏡に纏わる幾多の疑問を合理的に解説して....
私本太平記」より 著者:吉川英治
がすぐ眉に迫ってくる。その丘の一つは、承久の後鳥羽法皇のおん亡骸そのものなのだ。皇孫の後醍醐にすれば、幕府を倒す、という願望は後鳥羽いらいの悲願ではあることだし....
建国の事情と万世一系の思想」より 著者:津田左右吉
れには、皇祖が太陽としての日の神とせられ、天上にあるものとせられたのであるから、皇孫がこの国に降ることが語られねばならず、そうしてその降られた土地がヒムカ(日向....
日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
実であるとすれば、オオナムチ(大己貴)の命がアシハラノナカツクニ(葦原の中国)を皇孫に献上したというそれとは一致しない記紀の記載をも、ジンム天皇の東征ということ....