皇紀[語句情報] »
皇紀
「皇紀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
皇紀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「最終戦争論」より 著者:石原莞爾
ないのは、発明を尊敬することである。日本に於ける天才の一人である大橋為次郎翁は、
皇紀二千六百年記念として、明治神宮の近くに発明神社を建て、東西古今を通じて、卓抜....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
』に毒竜雪を起す、慈覚大師『入唐求法記』に、竜闘って雹《ひょう》を降らす、『歴代
皇紀』に、伝教《でんぎょう》入唐出立の際暴風大雨し諸人悲しんだから、自分所持の舎....
「宇宙戦隊」より 著者:海野十三
日本なんだからねえ。それに今は中世紀ではありませんよ。それから何百年もたっている
皇紀二千六百十年ですからねえ」 集った人々の話は、いつまでたっても尽きなかった....
「『くにのあゆみ』について」より 著者:宮本百合子
日本の物語をもつに到るであろう。『くにのあゆみ』が日本の歴史学的な根拠もとぼしい
皇紀をやめて、西暦に統一して書かれたことは、この将来の展望の上からも妥当である。〔一九四六年十月〕....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
れ等の諸歴史を貫く時間の尺度が国際的であるのは、不思議である。西歴で勘定するか「
皇紀」で勘定するか、それとも年号で勘定するかは、物指しの起点を零におくか六六〇に....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
》いて胸思案を試みた後、やや反り身になって、
「さよう、今年すなわち慶応の三年は
皇紀二千五百二十年じゃによって、今より千年の昔は――さよう――延喜《えんぎ》天暦....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
霜鬢《そうひん》ようやく白を加えんとするが、業縁なかなかに衰えず――来年はこれ、
皇紀の二千六百年、西暦千九百四十年、全世界は挙げて未曾有《みぞう》の戦国状態に突....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
前説に拠れば舒明の皇女、後説に拠れば舒明の皇后ということになる。間人連老は孝徳天
皇紀|白雉五年二月遣唐使の判官に「間人連老」とあるその人であろう。次に作者は中皇....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
て施されているように推量せざるを得なくなるのです。 だいたい日本神話と上代の天
皇紀は、仏教の渡来まで、否、天智天皇までは古代説話とでも云うべく、その系譜の作者....
「宝永噴火」より 著者:岡本かの子
めつつ在ったのである。 富士の噴火は、日本に記録の残っているものから調べると、
皇紀一四四一年、天応元年が初めで、それから、同一七四三年、永保三年まで約三百年の....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
罪人の子孫だろう』と答えているが、事実、三宅島の歴史をみると遠くは天武天皇三年(
皇紀一三三六年)三位麻積王の子を伊豆七島に流すと古書にある。島には有名流罪人の史....
「穀神としての牛に関する民俗」より 著者:中山太郎
塗場地、以牛乳酪食法師とあり(中略)。いつの程にか異国の風義うつりつらん、皇極天
皇紀に殺牛馬祭諸社神云々。桓武天
皇紀に断百性殺牛用祭漢神云々。自然と悪風儀うつる....
「山の人生」より 著者:柳田国男
これを想像することができるが、実際に殺され尽しまた死に絶えたということは「景行天
皇紀」にいわゆる撃てばすなわち草に隠れ追えばすなわち山に入るというごとき状態にあ....
「野草雑記・野鳥雑記」より 著者:柳田国男
べき顔つきを」という奇警なる一文章によって熟知せられる。それから遠く溯って反正天
皇紀の注記に、「多遅の花は今の虎杖の花也」とある虎杖も、この書の出来た時代には多....
「日本歴史の研究に於ける科学的態度」より 著者:津田左右吉
ある。例えば、日本は世界を従属させるべきものであるという主張が『日本紀』の神武天
皇紀の「掩八紘而為宇」を根拠とするようなのがその一つである。この句は「兼六合以開....