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皮細工
「皮細工〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
皮細工の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「ガルスワーシーの家」より 著者:岡本かの子
番がやっと来たので勇んで演壇に飛び上ってしゃべり出す弁士のように両眼を輝やかし鞣
皮細工のような形の宜い首を前へつき出した。 ――私達はマホメットの宗教を信じ剣を....
「成学即身実業の説、学生諸氏に告ぐ」より 著者:福沢諭吉
、この穢なき事を吟味するは洋学者に限るとして利用せられたるその趣《おもむき》は、
皮細工に限りてえたに御用をこうむりたるの情に異ならざりしといえども、えたにても非....
「手仕事の日本」より 著者:柳宗悦
の北で、旗のような形をしている半島であります。そこの大畑村|小目名という村に「檜
皮細工」があります。これで物入や籠や鉈鞘など、山や野で用いる色々の品を拵えます。....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
て行われて、ために伯楽の名があったのだ。この仙北地方にももと少数のラクがあって、
皮細工に従事し、万歳などに出ておったが、今もその流れのものが遺っていて、太鼓、三....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
京都の天部部落は、もと四条河原に居まして、これを「四条河原の細工」ともあります。
皮細工の雑戸で、それで「あまべ」の名を得ております。 もう一つ「出雲風土記」に....
「遠州地方の足洗」より 著者:喜田貞吉
□□村字□□と称する部落は、通称六軒家と云ひ、小部落にして、幕府時代に在ては人民
皮細工・草履細工を業とせしが、明治の初年頃従来の業を全廃し、みな農業に就き、婦女....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
た主鷹司の餌取と同じく、職を失った結果或いは鴨河原に住みついて、京人の為に掃除・
皮細工その他の賤業に従事し、或いは屠者の群などに投じたが故に、自ずから石原里すな....
「「エタ」名義考」より 著者:喜田貞吉
者以外にエッタと呼ばれたものがあって、その名が、「塵袋」の様な解釈から、屠者なり
皮細工人なりに及んだものだと解せられぬ事もない。かの
皮細工人の如きは、もとはエタ....
「融和促進」より 著者:喜田貞吉
で、なんとかして生活せねばならなくなりました。むろん草履作り、雪駄直しや、一般の
皮細工など限られた家内工業はありましたが、それのみで限りなく殖える人口を養うには....