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盛し
「盛し〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
盛しの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「牛肉と馬鈴薯」より 著者:国木田独歩
、今では明治倶楽部その者はなくなって了《しま》った。 この倶楽部が未《ま》だ繁
盛していた頃のことである、或《ある》年の冬の夜、珍らしくも二階の食堂に燈火《あか....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
…」 のぞいてみると、まさしくそのことばのとおり医者の駕籠です。それもよほど繁
盛している医者とみえて、りっぱな乗用駕籠でした。 しかし、ちょうちんはない。そ....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
々こずえに、ちらほらとにしき模様が見えるようになるといっしょで、決まったように繁
盛しだすのは浅草と両国|河岸《がし》の見せ物小屋です。このとき浅草で評判とったの....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
中間下男下女小女の出入りどきであるから、小前かせぎの者にはなくてかなわぬ質屋が繁
盛したとて、なんの不思議もない。 しかし、不思議はないからといって、伝六がこの....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ものがございますが、いずれにしても、このお時代の品川は、むしろ当今よりもずっと繁
盛していたくらいのもので、しかるに時も時五月の晦日というような切りつめた日に、ま....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
るほどの役者なら、さだめしじょうずだろうと、人気が人気を呼んで、毎日毎日大入り繁
盛しているというんです。――ねえ、だんな! むかっ腹をたてておくんなさいというの....
「耽溺」より 著者:岩野泡鳴
杯」と、僕は盃をさした。 婆さんはいろんな話をした。この家の二、三年前までは繁
盛したことや、近ごろは一向客足が遠いことや、土地の人々の薄情なことや、世間で自家....
「単独行」より 著者:加藤文太郎
うに思う。日和田から御嶽へ登る道も案外よくて予定より早く登れた。御嶽はなかなか繁
盛している。しかし乗鞍は淋しかった。雨が降ったために平湯や白骨に居つづけている登....
「家」より 著者:島崎藤村
の頃は、手代としてその下に働いていたが、今はこの人が薬方を預って、一切のことを切
盛している。旧い橋本の家はこの若い番頭の力で主に支えられて来たようなもので有った....
「文士としての兆民先生」より 著者:幸徳秋水
心術風俗に於て益有りしと為す乎将た害ありしと為す乎とルーソー之を読みて神気俄に旺
盛し、意思頓に激揚し自ら肺腸の一変して別人と成りしを覚え、殆ど飛游して新世界に跳....
「ジーキル博士とハイド氏の怪事件」より 著者:佐々木直次郎
った。その横町はせまくて、まあ閑静な方だったが、それでも日曜以外の日には商売が繁
盛していた。そこに住んでいる商人たちはみんな景気がよさそうであった。そして、みん....
「レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
よい所ではございませんか。夏になるとよく人が遊びに行きます。テナルディエの家は繁
盛しておりますか。あの辺は旅の客が多くありません。であの宿屋もまあ料理屋みたよう....
「名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
が、実は先年まで、観音堂の裏手に『大酸』ならぬ『大あま』旭遊廓があつて、大須の繁
盛したのは、半ばそのためであつた。旭遊廓は今の中村に移転したのだが、その当座、遊....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
んだ。その第一回は美妙の裸蝴蝶で大分前受けがしたが、第二回の『於母影』は珠玉を満
盛した和歌漢詩新体韻文の聚宝盆で、口先きの変った、丁度|果実の盛籠を見るような色....
「私の履歴書」より 著者:井上貞治郎
の責任を感じ、ますます商売に心身を打込んでいったのである。このため商売も次第に繁
盛し、大正二年には二千円の貯金もできるほどになった。私はいつまでも手工業にあまん....