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「盛儀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

盛儀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
源氏物語」より 著者:紫式部
ることを予期されて、主人の院は朱雀院をも御招待あそばされたのであったから、珍しい盛儀であると世人も思ってこの日を待っていた。六条院では遺漏のない準備ができていた....
レ・ミゼラブル」より 著者:豊島与志雄
ったが、ラマルク将軍の葬式の行列は、用心のためいっそういかめしくされた陸軍の公式盛儀をもってパリーを横ぎっていった。太鼓に喪紗《もしゃ》をつけ小銃を逆さにした二....
堕落論」より 著者:坂口安吾
感じるよりも自らの居る現実を疑ることがなかったのだ。秀吉は聚楽に行幸を仰いで自ら盛儀に泣いていたが、自分の威厳をそれによって感じると同時に、宇宙の神をそこに見て....
私の葬式」より 著者:坂口安吾
志でも、生きているうちこそ、色々と助け合い、励まし合うことが大切で、死後の葬式の盛儀を祈るなどゝいうことに、私は関心を持ちたいとは思わない。 私自身は、私自身....
最後の一句」より 著者:森鴎外
び出されて、父に別れを告げることができた。大嘗会というのは、貞享四年に東山天皇の盛儀があってから、桂屋太郎兵衛の事を書いた高札の立った元文三年十一月二十三日の直....
魔像」より 著者:林不忘
のである。 一月一日である。泰平つづきの公方様《くぼうさま》の世だ。その新年の盛儀である。大手|下馬《げば》さきは掃き潔《きよ》められて塵一本もとどめない。暁....
ローマ法王と外交」より 著者:国枝史郎
王を助けてその敵を降したりした。 そこで早速法王ヨハネ十二世は外交手段を揮い、盛儀を執行い、 「汝を神聖ローマ皇帝となす」 と宣言し、その冠を頭上に置き、 ....
法然行伝」より 著者:中里介山
がある。これ皆国家の大事と同じ様な行幸があり、儀式がある。そのはなばなしい一代の盛儀に特に隠遁の法然を召し出して先達とせられたこと、帝王|帰依《きえ》の致す処と....
三国志」より 著者:吉川英治
甚ださかんな由であります。将軍には先に、ご息女をもって袁家の息にゆるされ、婚姻の盛儀を挙げんとまでなされましたのに、なぜ今、疾く使いを馳せて、袁術の救いをお求め....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て治部大輔、無位の布衣でもございませぬ。立武者のうちに加えて、よそながらでも、御盛儀を拝するわけにはゆきますまいか。せっかく、都へ来あわせていた身の冥加に」 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
一色、今川など、足利支流の族党たちの家々からも、名代、あるいは有縁の者が、 「御盛儀のおん祝いに」 と、続々出府して来て、鎌倉じゅうに分宿していた。 それは....
私本太平記」より 著者:吉川英治
した。――つい前年の三月、ここに天皇の行幸を仰いだ日は、東大興福の二大寺を挙げ、盛儀三日三夜のご歓待は申すもおろか、鹵簿の還幸には、全山お名残りを惜しんで、聖武....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、やっと彼らの怒りをなだめた。 さてこうして、いよいよ当日になってみると、その盛儀は、要するに、天龍寺落成記念の日をかりて、じつは足利将軍幕府の創始と威望とを....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
将軍尊氏の母であり、尊氏の手で天龍寺や等持院も創建されていた。おそらく都の葬式は盛儀を極めたものだったろう。 ほかに、清子の鏡とか、尊氏の生ぶ毛だとか、肌着だ....
美しい日本の歴史」より 著者:吉川英治
、一部陸軍のそんな計画がおこなわれていたら、どうなっていたろうか。とても今日の御盛儀などありえたかどうか分らない。 もっとも旧陸軍教育からいえば、それはたしか....