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「盛岡〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

盛岡の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
私の父と母」より 著者:有島武郎
が、外面的の修養などが剥《は》がれて現われたものである。 母の父は南部すなわち盛岡藩の江戸留守居役で、母は九州の血を持った人であった。その間に生まれた母である....
誰も知らぬ」より 著者:太宰治
で、母も、その頃は存命中でありました。父は、東京の、この牛込の生れで、祖父は陸中盛岡の人であります。祖父は、若いときに一人でふらりと東京に出て来て半分政治家、半....
突貫紀行」より 著者:幸田露伴
ついに渋民《しぶたみ》の九丁ほど手前にて水飲み飯したため、涙ぐみて渋民に入りぬ。盛岡《もりおか》まで二十銭という車夫あり、北海道の馬より三倍安し。ついにのりて盛....
新生」より 著者:島崎藤村
なぞを思いながら、底暖かい町の空気の中を自分の下宿の方へ帰って行った。 「今だに盛岡のことなぞをよく思い出すところを見ると、矢張《やはり》あの人には女らしい好い....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
へ行っては上杉家へ仕え、会津へ行っては蘆名家へ仕え、奥州へ行っては伊達家へ仕え、盛岡へ行っては南部家へ仕え、常陸へ行っては佐竹家へ仕え、結城へ行っては結城家へ仕....
惜別」より 著者:太宰治
北地方の重鎮としてのどっしりした実力は稀薄のように思われた。かえってもっと北方の盛岡、秋田などというあたりに、この東北地方の豊潤な実勢力が鬱積されているのだが、....
開扉一妖帖」より 著者:泉鏡花
人が、青森へ住替えたというので、取りつく島からまた流れて、なけなしの汽車のお代。盛岡とかいう処で、ふっと気がつくと、紙入がない、切符がなし。まさか、風体を視たっ....
塩原多助一代記」より 著者:三遊亭円朝
とは正と自然に其の区別を知って居りますので。今多助が引慣れた青という名馬は南部の盛岡から出たもので、大原村の九兵衞方より角右衞門が買取ったのを、多助が十二歳の時....
文学に現れたる東北地方の地方色」より 著者:佐左木俊郎
石川啄木の『天鵞絨』があります。 石川啄木『天鵞絨』 「村といつても狭いもの。盛岡から青森へ、北上川に縺れて|逶※と北に走つた、坦々たる其一等道路(と村人が呼....
飢餓地帯を歩く」より 著者:下村千秋
下で最もひどかったという地方――岩手県の御堂村という部落へ入って行った。ここは、盛岡市から北へ一時間ほど乗り、沼宮内という小駅で降りて、更らに徒歩で一里近く山手....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
正腹は淡島姓を継ぎ、庶出は小林姓を名乗ったが、二軒は今では関係が絶えて小林の跡は盛岡に住んでるそうだ。 が、小林にしろ淡島にしろ椿岳の画名が世間に歌われたのは....
本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
北守備の根拠地となし、さらにその北の紫波郡の地に志波城を築きました。おそらく今の盛岡市のあたりまでは、田村麿遠征の結果として、すべて服従した事であったでありまし....
父の出郷」より 著者:葛西善蔵
の騒ぎの場合は父は私の妻の実家で酒を飲んでいたんだし、昨晩のあの九時ごろはたぶん盛岡附近を老の独り身を汽車に揺られていたわけであるが――がそれにしてもこのあわた....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
んの二、三度目の時だったと思う。 「君のお国はどちらです。」と私が訊いたら、 「盛岡の在です。」と彼は答えた。 「そうですか、奥州や北海道は、僕の国では鬼でもい....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
復興しえざる落伍者が、多数にできたに相違ありません。私は昨年岩手県へ参りまして、盛岡市の郊外の史蹟を視察いたしましたが、道の辻や、寺の門前などに、「餓死供養塔」....