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「盛時〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

盛時の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
開化の良人」より 著者:芥川竜之介
んゆうていえんぎょう》を男妾《おとこめかけ》にしていたと云う事、その頃は夫人の全盛時代で金の指環ばかり六つも嵌《は》めていたと云う事、それが二三年|前《まえ》か....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
川がある。安芸《あき》がある。小大進《こだいしん》がある。国歌はあたかも再興の全盛時代であった。その時代の名ある歌人すらもみな詠み悩んだ「独り寝のわかれ」の難題....
最終戦争論」より 著者:石原莞爾
割合に政治の掣肘を受けないで決戦戦争が行なわれました。 ところがローマ帝国の全盛時代になりますと、国民皆兵の制度が次第に破れて来て傭兵になった。これが原因で決....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
息ついて、さらにその龍馬の池の秘密を説きはじめました。 「なんでも奥州の秀衡の全盛時代だといいますから、およそ八百年ほどもまえのことでしょう。かの龍の池から一町....
寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
悸えさせるような凄味を帯びて来るのは、実に偉いものだと感服した。時は欧化主義の全盛時代で、いわゆる文明開化の風が盛んに吹きまくっている。学校にかよう生徒などは、....
西瓜」より 著者:岡本綺堂
。ある夏のことで、ここらに畑荒らしがはやったそうだ。断って置くが、それは江戸の全盛時代であるから、僕らの先祖は江戸に住んでいて、別に何のかかり合いがあったわけで....
私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
覚えた。 樺太に半年ほどいて東京に来た。ちようどそのころブルー・バード映画の全盛時代がきた。 エラ・フォール、メー・マレー、ロン・チャニー、モンロー・サルス....
歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
気魄を、今の心に生かそうとすることにあった。そうした「アララギ」歌風が――新詩社盛時には、我ひと共に思いもかけなかった程に――世間にとり容れられ、もてはやされた....
坑鬼」より 著者:大阪圭吉
直ぐに賛成した。 監督は、一寸考えてから立上った。そして何処からかストライキ全盛時代に買入れたドスを一本持出して来ると、そいつの鐺でドンと床を突きながら、 「....
茶の本」より 著者:岡倉由三郎
った。けだし、英国の治下に独立の夢まどかならぬこの不幸の国民と相いだいて、往古の盛時をしのび、大恩教主の法の光をひとしく仰ぐわれら東邦民族の合同をも策し、東洋百....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
の評判になりやすかったのは、興行の度数の少なかったためであったように思われる。全盛時代の新富座ですらも、一年の興行は先ず五、六回が関の山で、他の猿若座、市村座、....
源之助の一生」より 著者:岡本綺堂
貰っていたか知らないが、舞台の上では定めて役不足もあったろうと察せられて、その全盛時代を知っている私たちには、さびしく悼ましく感じられることも少くなかった。 ....
淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
史の重要な頁を作っておる。今では堀田伯の住邸となってる本所の故宅の庭園は伊藤の全盛時代に椿岳が設計して金に飽かして作ったもので、一木一石が八兵衛兄弟の豪奢と才気....
断食芸人」より 著者:カフカフランツ
し、今それに抗するために何かを企てるといっても、すでに遅すぎた。いつかは断食の全盛時代がふたたびくるだろう、ということは確実だったが、今生きている人びとにとって....
戦争史大観」より 著者:石原莞爾
次欧州大戦に於けるドイツ潰滅の一因と云われねばならない。 支那に於ては唐朝の全盛時代に於て国民皆兵の制度破れ、爾来武を卑しみ漢民族国家衰微の原因となった。民国....