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目抜き
「目抜き〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
目抜きの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「外套」より 著者:ゴーゴリニコライ
うことがはなはだむずかしいのである。それはともかく、少くとも、その役人が市中でも
目抜きの場所に住んでおり、従ってアカーキイ・アカーキエウィッチのところからは、か....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
とおり、そのとおり。なにしろ、てめえたちの仲間はたった七人しきゃねえんだからな。
目抜きのつかい手の肝心な腕切ってかたわにしておきゃ、雑兵《ぞうひょう》ばらの二、....
「防備隊」より 著者:黒島伝治
の威張り方は傍若無人だ。この春、三月、君は奉天に来たね。奉天城内の四平街と云えば
目抜きの場所だ。君覚えているだろう? 平生は、人間や洋車や馬車が雑沓しているとこ....
「ガリバー旅行記」より 著者:スウィフトジョナサン
グラットといわれ、これは『世界の誇』という意味でした。主人は宮殿から程遠くない、
目抜きの大通りに宿をとりました。そして、この私のことを、くわしく書いたビラを、あ....
「高原」より 著者:寺田寅彦
には上田の町を見物に行った。折からこの地の祇園祭で樽神輿を舁いだ子供や大供の群が
目抜きの通りを練っていた。万燈を持った子供の列の次に七夕竹のようなものを押し立て....
「一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
序が解っているから両会社も市中の乱売者を取り締ることが出来ない。森永も明治も市内
目抜きの場所にそれぞれ堂々たる構えで売店を出しているが、喫茶の方は別として、ここ....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
居りますが、私は一人一店主義であります、私は創業以来支店は持ちません。銀座の如き
目抜きの場所に、支店向きの適当な譲店が出たなどと誘惑をたびたび受けましたが、私は....
「私の活動写真傍観史」より 著者:伊丹万作
択作用に驚かされる。 そのころ松山には四つの芝居小屋があつた。四つのうち二つは
目抜きの場所にあり、そのうち新栄座というのが一流で寿座というのが二流どころであつ....
「火の扉」より 著者:岸田国士
あるか? なんでもいゝから当つてみないことにはと、やつと腰をあげた彼女は、I市の
目抜きの通りを、行きつもどりつした。女工募集の広告がいたるところに出ていた。それ....
「沙漠の古都」より 著者:国枝史郎
った。 四 動物園は市の中央、H公園の中にあった。公園の周囲は
目抜きの街路で、十二時を過ぎても尚人通りが賑やかにゾロゾロ続いていた。しかしさす....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
埋堀、両国で薬研堀この四軒でいずれも鰌専門で汁と丸煮だけである)。仲橋は下町でも
目抜きの場所であるから、市などの景況も下町気分で浅草とはまた変った所がありました....
「丸の内」より 著者:高浜虚子
災後になって俄に客が激増した。それはその筈である。日本橋、京橋、神田というような
目抜きの場所は悉く焼尽してしまって、わが丸の内だけが無事であったのだもの。それに....
「握り寿司の名人」より 著者:北大路魯山人
い。飯とパンと同時に賞味できるからだ。戦後十年くらいまでは、京橋、日本橋あたりの
目抜きの場所といえば、相当やかましい寿司屋もあり、やかましい食い手もあった。その....
「墓が呼んでいる」より 著者:橘外男
役牧田耕三郎氏が、門司まで出迎えてくれることを知る。 六月十二日、小浜に着く。
目抜き通り呉服町にある小浜警察署を訪う。突然の来訪に、受付の警官は胡散臭そうに、....
「早稲田神楽坂」より 著者:加能作次郎
しめつつあるが如き観もないではない。 鶴巻町通りは、何といっても早稲田で唯一の
目抜きの大通りである。だが私があすこを通る毎に思うことは、あの通りが大学前から一....