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「相伴う〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

相伴うの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
善の研究」より 著者:西田幾多郎
表象の外界に対する関係と同一になる。実際、意志的予期表象と身体の運動とは必ずしも相伴うのではない、やはり或約束の下に伴うのである。 また我々は普通に意志は自由....
画の悲み」より 著者:国木田独歩
ることとなった。中学に入っても二人は画を書くことを何よりの楽にして、以前と同じく相伴うて写生に出掛けていた。 この某町から我村落まで七里、もし車道をゆけば十三....
十二支考」より 著者:南方熊楠
いかな微細の凸起にも引っ掛かり得る。この麟板は一枚ごとに左右一対の肋《あばら》と相伴う。されば平滑な硝子《ガラス》板を蛇這い得ず。その板をちょっと金剛砂で磨けば....
十二支考」より 著者:南方熊楠
り、泰山主簿に任じて二年になるが、兄弟分たる汝と別るるに忍びず、眷恋《けんれん》相伴うて今に至った。既に実情を知られた上は久しく駐《とど》まるべきでないから別れ....
現代日本の思想対立」より 著者:戸坂潤
してこのソヴェート連邦の理論的前進と相伴って行っていることは当然である。だが之と相伴うものは勿論日本だけではない。フランスもイギリスに於てさえも唯物論研究は今日....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
これだけの減らず口を叩いて、呆れが礼に来る一座を後にして、弁信は鐙小屋の神主と相伴うてこの白骨の宿を出てしまいました。 宿を出る時こそ一緒ではあったが、やが....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
しの的となる。 その評判がなくてさえ、ひょろ高い道庵と、ちんちくりんの米友が、相伴うて歩く形はかなり道中の人目を引くのだから、まして、その人気が加わってみると....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
さんがあったのか、そうでなければ途中、ゆくりなく旧知同職にめぐり逢って、ここまで相伴うたものか、もしまた医者でないとすれば、俳諧師とか、茶人とかいったような人で....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
その機関だけでも――その熱望が、ついにマドロスを先発せしめ、自分はこうして田山と相伴うて、ここまで集まり来《きた》ったという次第であります。 来て見れば、高崎....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
人は椰子の木蔭を、かの新館なりと覚ゆる方面に向って、無言で歩きました。それは主従相伴うて歩むのでなく、二個の人間が相携えて行くもののようです。 椰子の林をわけ....
女大学評論」より 著者:福沢諭吉
結果として多少の産を成したらんには、平生の苦労|鬱散《うっさん》の為めに夫婦子供相伴うて物見遊山《ものみゆさん》も妨なきことならん。是《これ》亦《また》記者に於....
街はふるさと」より 著者:坂口安吾
、放二の方にチラと目をやって、 「こちら、北川さん?」 「そうです。在京中は形影相伴う血族ですから、お心置きなく」 青木が放二のことを説明しておいたのだろうと....
ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
との化学作用によりて起るという説とあった。ファラデーは電気作用と化学作用とは両々相伴うことを示した。化学作用がなければ電気作用は起らず、されど相異なれる金属を接....
日本男子論」より 著者:福沢諭吉
ん》相《あい》伴《ともの》うて同居するに至り、始めて道徳の要用を見出したり。その相伴うや、相共に親愛し、相共に尊敬し、互いに助け、助けられ、二人《ににん》あたか....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
られたる単純なる後景《こうけい》はあたかもパストラル曲中の美なる風景に等しく両々相伴うて看者の空想を音楽の中《うち》に投ぜしむ。かの爛漫《らんまん》たる桜花と無....