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相模
「相模〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
相模の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
ま》えで、美濃紙《みのがみ》のくすぶり返った置き行燈《あんどん》には太い筆つきで
相模屋《さがみや》と書いてあった。葉子はなんとなくその行燈に興味をひかれてしまっ....
「或る女」より 著者:有島武郎
た薄《うす》ぎたない狭い通りに来たと思うと、はしなくもいつか古藤と一緒に上がった
相模屋《さがみや》の前を通っているのだった。「
相模屋」と古めかしい字体で書いた置....
「富士」より 著者:岡本かの子
れなかった。 足柄の真間の小菅を踏み、箱根の嶺《ね》ろのにこ草をなつかしみ寝て
相模《さがみ》へ出た。白波の立つ伊豆の海が見ゆる。
相模|嶺《ね》の小嶺《おみね》....
「振動魔」より 著者:海野十三
種の社会事業に自らすすんで、世話役をひきうけたのだった。その夏は、海岸林間学校が
相模湾の、とある海浜にひらかれていたので、柿丘夫妻は共にその土地に仮泊して、子供....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
米先遣部隊、空輸にて着陸す。テンチ大佐以下百五十名。 ◯その前日に、十七隻の米艦
相模湾に入港。本日は約七十隻にふえ、戦艦ミズーリ号もその中に在り。 ◯B29やグ....
「白妖」より 著者:大阪圭吉
ぶ山脈線は、伊豆半島のつけ根を中心に南北に縦走する富士火山脈の主流であって、東に
相模灘、西に駿河湾を俯瞰しつつ一面の芝草山が馬の背のような際立った分水嶺を形作っ....
「雛妓」より 著者:岡本かの子
大きく刻み込み、毎日毎日名残り惜しそうにそれを眺めに行った。 「何百年の間、武蔵
相模の土に亙って逞しい埋蔵力を持ちながら、葡い松のように横に延びただけの旧家の一....
「鞄らしくない鞄」より 著者:海野十三
っているか、それを解くことに懸《かか》っていた。 その年の春、ひどい海底地震が
相模湾《さがみわん》の沖合《おきあい》に起り、引続いて大海嘯《おおつなみ》が一帯....
「空襲下の日本」より 著者:海野十三
から西へ廻って云ってみると、埼玉県の粕壁、川越、東京府へ入って八王子、神奈川県の
相模川に沿って鎌倉へぬけ、観音崎までゆく。浦賀水道にも船を配して聴いている。千葉....
「空襲警報」より 著者:海野十三
機も真黒な煙をひいて撃ち落された。 こうした激しい空中戦が、敵の各編隊を迎え、
相模湾上でも、東京湾の上空でも行われた。 口径四十ミリの敵の機関砲は、思いの外....
「霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
に在世中から私は弟橘姫様と浅からぬ関係を有って居りました。御存じの通り姫のお祠は
相模の走水と申すところにあるのですが、あそこは私の縁づいた三浦家の領地内なのでご....
「怪異黒姫おろし」より 著者:江見水蔭
たのを知るに及んで、今更|追腹も気乗がせず、諸国を医者に化けて廻っているうちに、
相模の三増峠の頂上に於て行倒れの老人に出会した。 薬を与えたので一時は蘇生した....
「悪因縁の怨」より 著者:江見水蔭
、名代の海賊で御座いました」 「えッ、海賊?」 「竜神松五郎と云って、遠州灘から
相模灘、江戸の海へも乗り廻して、大きな仕事をしていましたよ」 「おう、竜神松五郎....
「丹那山の怪」より 著者:江見水蔭
うわけで、江戸からは若党一人と中間二人とを供に連れて来たのだが、箱根風越の伊豆|
相模の国境まで来ると、早くも領分諸村の庄屋、村役などが、大勢出迎えて、まるで殿様....
「健康三題」より 著者:岡本かの子
の砂山の濤のような脊とすれすれに沖の烏帽子岩が見えた。部屋の反対側の窓を開けると
相模川の河口の南湖の松林を越して、大山連山の障壁の空に、あっと息を詰めるほど白く....