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「相識〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

相識の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
Kの昇天」より 著者:梶井基次郎
ります。そしてわずか一《ひ》と月ほどの間に、あの療養地のN海岸で偶然にも、K君と相識ったというような、一面識もない私にお手紙をくださるようになったのだと思います....
」より 著者:島崎藤村
人の家へ行って泊ったことも有った。十年も前の話。榊なら、それから忘れずにいる旧い相識の間柄である。唯、正太と一緒に来たのが、不思議に三吉には思えた。そればかりで....
蓮香」より 著者:田中貢太郎
て胸がひらけた。 「あ」 そこで燕児をつくづく見た。桑は笑って、 「これかつて相識るの燕帰来に似たり」 と晏殊の春恨詞の一節を口にした。すると女は泣いて言っ....
男女関係について」より 著者:大杉栄
も知れない。現に、君と僕とがこんな関係になるまでは互いにまったくあるいはほとんど相識りもせず、したがってほとんど何等の交渉もなかったんである。したがって諸君は、....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
。 小野さんはいつも下宿を探している。 この下宿さがし――小野さんと私たちが相識になったのは、その「下宿探し」という楽しい企業に関する一つの妙ないきさつから....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
々村戒三等の早稲田派は申すまでもないが、矢島楫子女史、大関和子、三谷民子女史とも相識り、また基督教界の元老押川方義、植村正久、内村鑑三、松村介石、本田庸一、小崎....
次郎物語」より 著者:下村湖人
めていた。そして、彼が、兄の親友で、「親爺」の綽名で生徒間に敬愛されていた大沢と相識ることを得たことは、正義と慈悲への彼の歩みを、一層強健なものにしたのである。....
岩田豊雄と私」より 著者:岸田国士
、岩田と私とはほとんど同じ時代にフランスの芝居を勉強しに行つたのに、遂にそれまで相識る機会はなかつた。 彼と私とを結びつけたのは、ヴィユウ・コロンビエの廊下で....
瘠我慢の説」より 著者:石河幹明
本鋤雲翁は自から旧幕の遺臣を以て居り、終始その節を変ぜざりし人にして、福沢先生と相識れり。つねに勝氏の行為に不平を懐き、先生と会談の語次、ほとんどその事に及ばざ....
変な恋」より 著者:小酒井不木
った末に大切な宝石を手ばなすとて、グレージーの店をたずねたのである。それが二人の相識る機会となり、グレージーは女と宝石とにぞっこん惚れこんで、彼女の宝石をどしど....
人間山中貞雄」より 著者:伊丹万作
作品をけなすために病中をしのんでまで筆を起したのではない。のち、直接山中の人間と相識るにおよんでその人間とその作品とを比較検討するに、どうも作品のほうが大分人間....
かもじの美術家」より 著者:神西清
でに満二十五歳をすぎ、リュボーフィ・オニーシモヴナは十九歳の妙齢にあった。二人が相識の間がらであったことは言うまでもないが、それがやがて、その年頃にはえてして起....
飛騨の怪談」より 著者:岡本綺堂
る中に、噂の主は帯剣を戞めかしながら入って来た。近所の人であるから、忠一とも予て相識っているのである。双方の挨拶は式の如くに終った。 「何かお急ぎの御用ですか。....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
南球五万哩余程、沐雨梳風嘆独行、帰入旧廬有相識、一窓梅月照寒更。 甫水 円了道人 (南半球五万|哩余の行程、雨で髪を洗い....
はつ恋」より 著者:神西清
出たものだった。つまり、公爵夫人の言葉によると、わたしの母は二、三の重要な人物と相識の間柄であるが、今や夫人はすこぶる重大な訴訟を起していて、彼女自身の運命もま....