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真宗
「真宗〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
真宗の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「私の父と母」より 著者:有島武郎
とがしばしばあった。後に母の母が同棲するようになってからは、その感化によって浄土
真宗に入って信仰が定まると、外貌が一変して我意のない思い切りのいい、平静な生活を....
「春昼」より 著者:泉鏡花
りくすぶった色あい、マッチの燃さしの突込み加減。巣鴨辺に弥勒の出世を待っている、
真宗大学の寄宿舎に似て、余り世帯気がありそうもない処は、大に胸襟を開いてしかるべ....
「続獄中記」より 著者:大杉栄
という幾人かの坊さんがいる。ところによってはヤソの坊さんもいるそうだが、大がいは
真宗の坊さんだ。 普通の囚人には、毎週一回、教誨堂とかいう阿弥陀様を飾った広間....
「夜叉ヶ池」より 著者:泉鏡花
士、京都大学の教授じゃ。山沢学円と云うものです。名告るのも恥入りますが、この国は
真宗門徒信仰の淵源地じゃ。諸君のなかには同じ宗門のよしみで、同情を下さる方もあろ....
「死者の書」より 著者:折口信夫
るうちに、また氏々の族長の家囲いを、あらかた石にしてしまった。その頃になって、天
真宗豊祖父尊様がおかくれになり、御母 日本根子天津御代豊国成姫の大尊様がお立ち遊....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
実に今日彼等をして、協力して地上人類の純正高潔なる霊的教育――より高く、より清き
真宗教の普及の為めに、精進努力せしむる所以なのである。 吾等は信ずる、沈思熟慮....
「取返し物語」より 著者:岡本かの子
文明十一年十一月(室町時代末期) 処 近江国琵琶湖東南岸 人 蓮如上人 浄土
真宗の開祖親鸞聖人より八代目の法主にして、宗門中興の偉僧。世に言う「御文章」の筆....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
うと、天窓はこれなり、大手を振って通り抜けた――愚にもつかぬ。 あれから、今の
真宗大学を右に見て、青柳町へ伸して、はて、どこらだろうと思う、横町の角に、生垣の....
「欧米各国 政教日記」より 著者:井上円了
ソ新教はローマ宗を改良したるものなれば、仏教と大いに異なるところあり。その改良は
真宗の改良に比すれば、またはなはだ相近し。 ある英国の学士語りて曰く、日本の仏....
「仏教人生読本」より 著者:岡本かの子
語って帰って行きました。 七里恒順という幕末から明治へかけて生きておられた浄土
真宗の名僧があります。 その人の言葉に、 「月を盥の水に映すのに、映そう映そう....
「松の操美人の生埋」より 著者:宇田川文海
夏酷暑と悪病を避けて有馬の温泉に浴す。端なく会人無々君と邂逅して宿を倶にす。君は
真宗の僧侶にして、学識|両ら秀で尤も説教に長ぜりと。君一日浴後居士の室に至る、茶....
「特殊部落と寺院」より 著者:喜田貞吉
仏臭を帯びた神道者流から甚だしく忌まれた結果、自然と仏縁にも遠かったのを、幸いに
真宗の布教によって救われて、始めて極楽往生の有難いことを覚ったのであった。ことに....
「旃陀羅考」より 著者:喜田貞吉
偽書として措くとするも、その他の伝記の言うところが、また果して信ずべきか否かは、
真宗の開祖親鸞聖人が名流日野家の公達で、九条関白の愛婿であったとの説と同様に、門....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
出て、後の浄土宗から分立し、源空最初の意気盛んな頃の説をどこまでも主張したのは、
真宗の開祖善信聖人親鸞であった。彼は相変らず悪人往生の為に尽力し、「善人尚以て往....
「融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
さなかった間に、彼らのみは盛んに増しました。これは、一つは彼らが一向宗、すなわち
真宗の信徒であったということから、自然この風が起らなかったのかもしれません。今日....