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「真影〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

真影の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
《お》りましたが、父文吾相果てました後《のち》、六十に近い母に孝行を尽し、剣術は真影流《しんかげりゅう》の極意を究め、力は七|人力《にんりき》あったと申します。....
自叙伝」より 著者:大杉栄
生徒の評判を悪くしてしまった。そして、生徒がみな素足ではいる習慣になっていた、御真影を安置してある講堂へ、校長が靴ばきのままはいったとかいうので、危く排斥運動が....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
と共に、 「足!」 足を覘《ねら》うは柳剛流《りゅうごうりゅう》に限る。少年は真影流《しんかげりゅう》に見る人の形。 「他流試合か」 竜之助がこう呟《つぶや....
ニュース映画と新聞記事」より 著者:寺田寅彦
ようとしてもおそらく千万言を費やしてもなおすべてを尽くすことは不可能であろう。写真影像は現象の記載ではなくて、現象そのものだからである。 そのかわりに、あるい....
怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
覚えたいのでへい」 平「はて剣術が好きとな」 孝「へい番町の栗橋様が御当家様は、真影流の御名人と承わりました故、何うぞして御両家の内へ御奉公に上りたいと思いまし....
敵討札所の霊験」より 著者:三遊亭円朝
せん、評判の宜い方でござりますねえ」 善「それに彼は武田流の軍学を能くし、剣術は真影流の名人、文学も出来、役に立ちますが、継母に育てられ気が練れて居て、如何にも....
社会時評」より 著者:戸坂潤
?)の建設を目的とする農業村塾であって、この学校の守護神社(文部省系小学校では御真影奉安殿に相当するのかも知れぬ)たる金※神社の大鳥居は、後藤農相自身の寄進にな....
松の操美人の生埋」より 著者:三遊亭円朝
ら剣術を習いましたが、お武家の胤だけに素性が宜しく忽ちに免許を取りました。剣術は真影流の名人、力は十八人力あったと申します。嘘か真実かは解りませんが、此の事は私....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
いよ。よっぽど出来る先生かって、左様、よくは知らんがな、土佐の人だとかいったよ、真影《しんかげ》だ、それと甲州流の軍学を心得ていたということだ。そのほか、この土....
後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
奴は余程義侠の心に富んだ奴と見えるな、定めし剣術の心得もあろうな」 喜「はい、真影流の奥許しを得て居りまして、なか/\の腕利でございます」 右「天晴な腕前じ....
自警録」より 著者:新渡戸稲造
知人にてある所で演説したことがある。始むるにあたりてあたかも前面に掲げてあったご真影《しんえい》に最敬礼して登壇《とうだん》し、今日《こんにち》の教育はややもす....
老狸伝」より 著者:佐藤垢石
輪町付近の山林は開墾されて、一望遮るもののない桑畑となったけれど、その辺は有名な真影流の開祖、塚原卜伝の師、つまり剣道の神さまと称される上泉伊勢守が城代として住....
法然行伝」より 著者:中里介山
子の勝法房《しょうほうぼう》というのは、画を描くことが上手であったが、或時法然の真影を描いてその銘を所望した処が、法然がそれを見て、鏡を二面左右の手にもち、水鏡....
粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」より 著者:三遊亭円朝
道喰い詰めの奴で、息杖を取って打って掛ったが、打たれるような人じゃア有りません、真影流の奥儀を極めた小三郎なれば、少しも騒がず左右から打込んで来る息杖の下を潜り....
フレップ・トリップ」より 著者:北原白秋
しく飾られてあったか。 ニコライ皇帝、 その皇后、 手札形の真鍮縁のその御真影こそはあわれであった。 私は黯然とした。 「撮影さしてください、ね、いいで....