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着陣
「着陣〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
着陣の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
長に送った書状にも、 「(前略)雪中御大儀たるべしと雖も、夜を以って日に継ぎ、御
着陣|待入候。信州味方中滅亡の上は、当国の備安からず候条」 と云っている。義戦....
「賤ヶ岳合戦」より 著者:菊池寛
勝重、原彦治郎、不破彦三、総勢八千五百、雪の山路に悩みながら進み、江北木の本辺に
着陣した。勝家も直に、軍二万を率いて、内中尾山に着いた。北軍の尖兵は長浜辺まで潜....
「島原の乱」より 著者:菊池寛
藩の倉庫に有った米五千石、鳥銃二千、弓百は悉く原城に奪い去られた。上使が有江村に
着陣した十二月八日には、原城は準備整って居たのである。 城の総大将は勿論天草四....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
督の一橋慶喜であったという。朝議もそれを容れた。一橋中納言が京都を出発して大津に
着陣したのは前年十二月三日のことだ。金沢、小田原、会津、桑名の藩兵がそれにしたが....
「蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
郷が出陣したことは前に述べた通りであった。五日は出発、猪苗代泊り、六日は二本松に
着陣した。伊達政宗は米沢から板谷の山脈を越えてヌッと出て来た。其の兵数は一万だっ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
。 更にその立札に曰《いわ》く、 「元亀元年織田右府公浅井朝倉退治の時神祖御
着陣の処」 ははあ、そうか、太閤記の講釈で聞いているところだ。さすがの織田信....
「天狗外伝 斬られの仙太」より 著者:三好十郎
侯、水戸様お目代《もくだい》として進発あり。田沼様の公方がた本月三日には古河に御
着陣、足利学校に御在陣、高の知れたる天狗党、シャニムニ踏み破り、蹴散らさんと思う....
「斬られの仙太」より 著者:三好十郎
侯、水戸様お目代《もくだい》として進発あり。田沼様の公方がた本月三日には古河にご
着陣、足利学校にご在陣、高の知れたる天狗党、シャニムニ踏み破り、蹴散らさんと思う....
「三国志」より 著者:吉川英治
「潁川から広宗へ向った玄徳の隊が、形勢の変化に、途中から引っ返してきて、ただ今、
着陣いたしましたが」と、幕僚から知らせがあった。 朱雋はそれを聞くと、 「やあ....
「三国志」より 著者:吉川英治
を安んじて、かえって、がっかりなされたほどだった。 間もなく、曹洪の歩兵勢も、
着陣の鐘を鳴らし、万歳の声のうちに、大将曹洪は、聖駕の前へ進んで礼を施した。 ....
「三国志」より 著者:吉川英治
の狂風が吹いて、中軍の牙旗がポキッと折れた。 あまり御幣はかつがない曹操だが、
着陣したその日なので、「はてな?」と、しばし馬上に瞑目し、独り吉凶を占うていたが....
「三国志」より 著者:吉川英治
声も、そこの石垣の石一つ揺がすことはできなかった。 孔明は、後、ようやくこれへ
着陣した。 その軍勢も多くなかった。 これへ臨む前に、※陽にも、陽平にも、石....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
山陰の兵などが、おくれ走せにも参加したのはいうまでもない。 中でも、足利高氏の
着陣は、遅かった。――もっとも、それには理由があった。 彼にたいして、出陣令が....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、あらかた引き具して来たとみえる」 「ほかに、奥大和の者ども、八十余名も、同時に
着陣しましたので、また新たに四百余名を加えたことに相なりまする」 「そうか。……....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ゆうべは、深夜の謀議だった。今朝は、連判に欠けるかと不安視されていた細川兄弟も
着陣した。それやこれで高氏は眠っていない。おそらく彼は午睡中か。柳堂の内といい鶯....